15-3。
大きく開いた点差に比例して、甲子園球場を包んでいた空気は、一塁側と三塁側で全く異なるものとなっていた。
2003年春の選抜大会。広陵(広島)-横浜の決勝は当初、広陵のエース西村健太朗(巨人)と、横浜の成瀬善久(ヤクルト)涌井秀章(ロッテ)の二枚看板による投手戦になるとの見方が大勢を占めていた。
だが、ふたを開けてみれば広陵の圧勝だった。決勝での大会タイ記録(当時)となる15得点に、今も決勝最多記録として残る20安打。春夏4度、甲子園の決勝で負けなしだった横浜に、初めて土をつけた。
「勢いですよね。うちが持ってる力以上のものが出て、横浜さんが力を出せなかった。勝つときって、そんなもんだと思うんですけどね」。監督の中井哲之(55)は自身2度目、広陵にとって3度目となったセンバツ制覇を決めた試合をそう述懐する。
「松坂さんの強いイメージがあります」。試合前、広陵ナインは報道陣に横浜の印象を聞かれてこう答えていた。遠く離れた神奈川の名門に対する妙な先入観と、プレッシャーがあった。
プレーボール直前、中井は予想通り先発してきた涌井を指さし、ベンチの選手たちに言った。「見てみい、緊張しとるやろ。甲子園決勝で2年生が投げるんじゃけえ、そりゃ緊張もするわ」。これがチームの雰囲気を和らげ、横浜をのみ込んでいった。
先頭の上本博紀(阪神)が5打数4安打するなど四回までに6得点で涌井をKOすると、成瀬からも9点をもぎ取った。「春の広陵」の面目躍如となった。