「アクシデントが起こらない限り、レギュラーで起用し続けたいと考えている」
米大リーグでプレーした日本人として初めて監督に就任し、今季からロッテを率いる井口資仁から、最上級の信頼を寄せられている鈴木大地(28)。主将を4年間務め、熱狂的なマリーンズファンから絶大な支持を受けるリーダーだ。
2005年にはワールドシリーズ制覇も経験している新指揮官は、一昨年まで4シーズン遊撃を守り、昨季は二塁でフル出場してゴールデングラブ賞を初受賞した鈴木を、今季は三塁にコンバートする方針という。
打率3割を超えたことはないが、過去5シーズンで欠場は1試合のみ。「自分は特に秀でた才能はないけど、どのポジションでも任されたら臨機応変にこなす自信はあります」
桐蔭学園時代もそうだった。3年間で二塁、三塁、遊撃を守った。当時監督だった土屋恵三郎(現星槎国際湘南監督)は「とにかく努力家で本当に真面目な子。肩も足も普通なのに、何か持っているものがあった」と1年からベンチ入りさせて、重宝してきた。
だが、そんな鈴木の高校時代も、順風ばかりが吹いていたわけではない。「心にしこりが残っている」と、今も脳裏に焼き付き、忘れられないシーンがあるという。
高校2年の夏。06年7月28日の神奈川大会準決勝。春のセンバツを制していた横浜に対して、エース加賀美希昇(元横浜DeNA、現JR西日本)を擁する桐蔭がどう挑むのかが注目されたゲームだった。
「下馬評は横浜で、桐蔭は押せ押せの雰囲気で行くしかなかった」。リードオフマンの鈴木は、自分の役割を分かっていた。0-0の初回裏、先頭打者として打球を中前に運ぶと、犠打で進塁して1死二塁とチャンスメーク。しかし、前のめりの気持ちは、相手バッテリーに見透かされ、けん制死。天を仰ぐように、唇をかむしかなかった。
以後は2打席無安打で途中交代し、試合も敗れた。「リズムを生まなきゃいけなかったのに、とんでもないことをしてしまった。とにかく先輩に申し訳なかった」
テレビ中継を録画したビデオは静岡の実家にあるが、「今でも見られないですね。でも、思い出したくもないのに鮮明に出てくる」。腕を組み、遠くを見ながらこぼす言葉に複雑な思いがにじむ。