
その敗戦を、本紙は叙情的に伝えた。
「だれかのヘルメットが音を立てて床に落ちたのを合図に、全員がワー、ワーと男泣きした」
人一倍涙を流したのが、2年生の山本昌広だった。1982年7月29日。神奈川大会準々決勝で、日大藤沢は優勝候補筆頭の横浜商(Y校)に2-3で惜敗した。背番号10は敗因を一身に背負い込んだ。
当時のエースは、3年生の荒井直樹だった。社会人野球のいすゞ自動車を経て、2013年には前橋育英(群馬)を率いて夏の甲子園で初優勝を遂げる右腕はこの夏、すさまじかった。
3回戦で鶴嶺をノーヒットノーランに抑えると、5回戦で座間を相手に再び快挙を達成。2戦連続の無安打無得点を記録したのは、神奈川では荒井ただ一人だ。
そうして挑んだ、Y校戦だった。三浦将明を擁して選抜4強入りの強敵には、春の準々決勝で4-14とぼろ負けしていた。荒井と山本は、夏の復讐(ふくしゅう)に備えてきた。