せみ時雨がけたたましい。ラジオの実況中継が誤って聞こえるのはそのせいだろうか。
1983年8月20日。全国選手権準決勝。超満員の5万8千人が詰め掛けた甲子園で、三浦将明は第2試合に備えて室内ブルペンで体を温めていた。その耳に、第1試合の戦況を伝えるラジオが響く。
「4回終わってPL学園6点リード」-。最初はアナウンサーの間違いだと思った。だが、回が進むにつれ、わが耳を信じないわけにはいかなくなった。
「あれ、池田負けてるんじゃねえのってなって。見に行ったら水野がホームラン3発も打たれているよと」
まさかの0-7。盟主池田が敗れた。池田と同じ三塁側ベンチで入れ替わりながら、横浜商(Y校)ナインは怒りをぶつけた。「なに負けてんだよって。Y校のやつらみんな怒っていた」。当時、池田の捕手だった井上知己は振り返る。
「打倒池田」
「それまで相手どうこうというのは考えたことがなかった。でも、池田は別だった」
合宿でロードワーク中にヒッチハイクをした。雨が降ったら「気合の一球だ」と一球だけ投げて卓球をしていた。そんなエピソードで語られる練習嫌いのエースが変わった。
アンダーシャツには「打倒池田」と書いた。直球、カーブに加え、新たな武器としてフォークボールを習得した。
「3キロのダンベルを指で挟んだりしてね」。長い指を誇るように開き、遠くを見やる。運命の歯車があとわずかにかみ合っていたら…。