甲子園の頂は目の前だった。マリンブルーに彩られた絶景を夢想し、手を掛ける。その刹那(せつな)、押し寄せる“山びこ打線”は、右腕をのみ込んだ。
1983年4月5日。横浜商(Y校)の三浦将明(52)は選抜大会決勝のマウンドにいた。対するは、高校生離れした豪打を武器に、前年夏の王座に就いた池田ナインだ。
「なんだよ山びこって偉そうに」。だが、若い情熱は、プレイボールのサイレンを聞き終えることなく打ち砕かれた。
初球の直球はすさまじい打球音とともに、先頭打者坂本にライト前へと運ばれた。「決勝で初球を打ってこないだろうと安易に投げて打たれた。あ、これが山びこかと」。後続を断ったものの、三回に再びつかまった。
2死から連打を浴び、一、二塁から3番江上の打球はふらふらと左中間へ。左翼、中堅、遊撃が交錯し2点を失った。
一方の味方打線は“阿波の金太郎”こと水野雄仁(元巨人)攻略の糸口をつかめない。当時の監督、古屋文雄(73)は苦笑する。
「1番の西村が出て、1、2球の間に走って2番の信賀が送って3番の高井でなんとか…というのが得点パターンだった。だけど、西村が戻ってきて言うんだ。『ボールが見えない』って。じゃあ負けだなと。あとは三浦に頑張ってもらってなんとか格好をつけたいなと」
三浦は12安打を許しながらも、得意のカーブを軸に粘った。だが、反撃の機会をつかめないまま八回には水野に適時打を浴びた。0-3。点差以上に力の差を見せつけられた。前年からの甲子園夏春連覇で、時代の主役は池田となった。