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スーパースター編 2/100
類を見ない「物語性」 東海大相模 原辰徳(中)

高校野球 | 神奈川新聞 | 2018年1月3日(水) 02:00

2年生夏の神奈川大会の準決勝・日大戦、4打席連続で歩かされた時の原辰徳。やや顔がぶぜんとして見える=1975年7月26日、保土ケ谷球場
2年生夏の神奈川大会の準決勝・日大戦、4打席連続で歩かされた時の原辰徳。やや顔がぶぜんとして見える=1975年7月26日、保土ケ谷球場

 19-0。

 1976年夏の神奈川大会決勝で、東海大相模は圧倒的な勝ちっぷりで向上を退け、3連覇を決めた。いまだに破られていない決勝での最多得点記録の中心にいたのは、3年生の原辰徳だった。

 19安打のチームにあって、二塁打2本を含む5安打5得点2打点。準決勝まで長打は1本のみとスランプだったといい、当時の神奈川新聞は「ひのき舞台で開眼した。やはり超一流の役者である」と書き出している。

 試合後の本人のコメントもさえている。

 「でも、もうひとつです。ファウルになった当たりなんか、本来ならホームランですよ」

 練習の8割を打撃に割き、走塁でもわずかな隙あらば次塁を狙う。負けている九回2死からでも、盗塁を仕掛ける。現在も東海大相模に息づく「圧倒的攻撃野球」は、神奈川を席巻した。


辰徳2年の夏、父であり監督である貢に指示を受けているシーン
辰徳2年の夏、父であり監督である貢に指示を受けているシーン

 東海は辰徳が抜けた翌年夏も制し、神奈川大会4連覇を達成。以後40年間、県内では3連覇を果たしたチームすらない。間違いなく、東海の黄金時代だった。

 だが当人は、当時をこんなふうに記憶していた。「僕たちの時はまだ相模も、桐蔭学園も(学校が)若かった。古豪といえば鎌倉学園、武相、Y校(横浜商)、法政二とかね。それに当時は横浜が強かった。やっぱりそこへ向かっていくという感じだった」

 今は東海のグラウンドに掲げられる「タテジマのプライド」という王者を示す言葉にも、当時はそんな感覚はなかったと笑うのだった。

4打席連続敬遠

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