8月9日午前11時2分。兵庫県伊丹市内の練習場で、4番増田は一人足を止め、黙とうした。72年前。故郷の長崎に原爆が投下された。
母校の淵中は、爆心地からわずか1キロほどの距離。100人を超える生徒が原爆で亡くなったという。焼けた校門、校舎の壁面-。今も残る「あの日」の痕跡を見ては、当時を想像し、平和に思いをはせる。
横浜でも毎年の黙とうを欠かさなかったが、友人たちの認識の差に戸惑いを感じた。「8月9日? 野球の日でしょ」。驚いた。でも、だからこそ「知っている人間が伝えていかないと」
甲子園で野球ができることに、いま改めて強く思う。「平和だからこそ、こうして野球ができている。この平和をつなげていきながら、野球で勇気を与えたい」