19年ぶりの夏の全国制覇へ-。大会屈指の強打者、増田珠(3年)を擁する名門・横浜の戦いがいよいよ始まる。
開会式のリハーサルを終え、バスに乗り込もうとする4番増田珠の周りには人だかりができていた。6日の甲子園球場。少し照れながら写真撮影に応じ、「最後の夏、またここに戻ってくることができた。大いに暴れたいですね」。横浜の主砲はいま、歴代の強打者と同じく高校野球の聖地からスターへの階段を駆け上がろうとしている。
世間の注目を浴びることには、ずっと慣れてきた。長崎シニア時代は全国大会に3度出場。中学生離れした打撃力で「怪物スラッガー」と騒がれた。3年夏にはU-15(15歳以下)日本代表に選出。4番打者として国際大会も経験していた。
恩師の若松猛監督(70)は「ものが違ったね。打ってほしい場面で結果を出す力はすさまじかった」と振り返る。そして「どんなときも笑顔が絶えなかった。チームが劣勢でも下を向くことはなかった。今と変わりませんよ」。
ソフトボールを始めた小学1年から抱いていたというプロ野球選手の夢。本気で追い掛けるため、増田は15歳の春に大きな決断をした。「プロへの輩出人数が多い」「偉大な指導者がいる」「憧れの藤平尚真(楽天)がいる」。九州の親元を離れ、横浜で腕を磨くことにした。
◆□◆
代打出場ながら1年春からベンチ入り。レギュラーをつかんだ夏は、甲子園通算51勝の渡辺元智前監督(72)のラストイヤーに重なった。「野球と私生活はつながっていると学んだ。渡辺監督に少しでも長く野球を教えてもらいたい」。高まる周囲の期待に押しつぶされることなく、堂々の結果で応えた。
横浜隼人との準々決勝は同点の九回に決勝の適時三塁打。桐光学園との準決勝でも同点のソロ本塁打を放ち、“スーパー1年生”の名をほしいままにした。「あの夏があったから今がある。高校生活の原点です」
指揮官が当時部長だった平田徹監督(34)に交代しても、天才肌のスラッガーは成長曲線を描き続けた。県大会は秋の打率4割2分1厘。2年春は右手首の疲労骨折で欠場したが、夏に4割4分で完全復活を果たし、神奈川大会を制した。
だが、尊敬するエース藤平と一緒に立った甲子園の舞台で、持ち前のスマイルが消えた。「あの時はまだ、藤平さんたちに連れてきてもらったという感じだった」。2回戦で履正社(大阪)の左腕・寺島成輝(ヤクルト)の前に3打数1安打。悔しくて、申し訳なくて、泣きじゃくった。
挫折を味わった2度目の夏を、さらなる飛躍の原動力とした。最高学年となった今春は打率6割3分6厘をマーク。最後の神奈川大会でも大会新記録の4試合連続本塁打を放ち、東海大相模・大田泰示(日本ハム)に並ぶ5本塁打で打率6割に乗せた。
文句なしに強打者の系譜に名を連ねた増田が、さらに輝こうとする舞台が甲子園だ。「ことしは自分たち3年生の力でここに来られた。もちろん、全国制覇したいです」。その屈託のない笑顔は、チームメートの支えにもなっていた。
増田3年間の軌跡
高校デビュー
名将の教え
聖地で初安打
甲子園の涙
歓喜の主役