

県立から甲子園へ。神奈川では1951年の希望ケ丘以来、半世紀以上も県立は優勝していない。厳しいのは分かっているが、弥栄の鶴岡英一監督(58)は、選手にこう語りかける。
「この先もずっとだと思うか? 俺は違うと思う。また県立が行く時が来る。それは今年かも、来年かも知れない。その一回のために、やってみないか」
絶対は絶対にない-。
自身が高校時代から証明してきたことだ。県川崎の中堅手として臨んだ76年の神奈川大会2回戦。前年準優勝の日大藤沢を相手に、九回に3点差を逆転して勝った。「相手は優勝候補。やってできないことはないんだと」
当時すでに、将来は高校野球の監督をやると決めていた。初任の大清水(現藤沢清流)では部員数人という状態からチームを作り上げ、秋の県4強まで導いた。
その後、茅ケ崎北陵、横浜桜陽でも8強を経験し、指導35年目の今夏は2年連続で通算10度目のシードで迎える。前任の藤沢工科を含めて5校で結果を残し、県立の現役監督として、神奈川で最も勝っている一人だ。
セオリー外
野球はオーソドックスだ。バッテリーを軸に守れるチームを作り、打線は小技も駆使してつなぐ。「やっぱり上位に行けるのは内角に投げきれるエースがいる時。タイミングを外す変化球があればなおいい」。エース蓑輪透生(3年)はその片りんを見せる。
春は4回戦で桐光学園に攻略された右腕は、