
低迷期のベイスターズを支えた救援左腕、大原慎司さん(32)が今季を最後にユニホームを脱いだ。デビュー直後の華々しい活躍から一転、度重なるけがにも悩まされ、プロ7年目で決断を下した。シーズン終了後から球団職員として第二の人生を歩み始めた優しきサウスポーは「もやもやが晴れた気分。今はもう後悔はない」と前を向いている。
今月16日、2軍施設で開かれた野球教室。この秋まで1軍を目指して汗を流していたマウンドに、スニーカーを履き、軟式ボールを握りしめて打撃投手を務める大原さんが立っていた。
戦力外通告を受け、第二の人生を決断した2カ月前は「人見知りで愛想笑いもできない。職員は不向きかな…」と不安をのぞかせたが、今では柔らかな笑みを浮かべて参加者たちとふれあう。
2011年にTDKからドラフト5位で入団。174センチ、66キロの小柄な体を躍動させ、左打者の外角に滑るスライダーを武器にワンポイントリリーフとして1年目から頭角を現した。
「週に4、5試合」のペースで登板を重ね、シーズン途中の1軍昇格にもかかわらず新人として当時のプロ野球史上最多タイ、球団左腕で最多の71試合登板をマークした。12年は防御率1・80を誇り、14年8月の阪神戦でサヨナラ負けを喫するまで、登板169試合連続で無敗記録を続けたことも。
しかし同年9月、左肩に痛みが走った。メスを入れる選択肢もあったが保存療法を選んだ。マウンドに立ち続けたものの、成績は下降線をたどり、今季はプロ7年目で初の1軍登板なし。球団からの通告に「覚悟はできていた」という。
現役引退か続行か。心は揺れ動いた。ボールは投げられる一方で「100パーセントの自分にもう戻れない」と自覚していた。結婚から2年がたち、「自分一人の人生じゃない」と引退を決断した。
かつての首脳陣から「投げさせすぎてしまった」と言葉を掛けられたこともあるが、後悔はしていない。「投げたくても投げられない投手は何人もいる。チャンスをもらえた自分は幸せ」
今は球団の野球振興部に配属され、子どもたちに野球の魅力を伝える役割にやりがいを感じている。「シンプルだけど難しい。全力で挑戦して野球人口を増やしたい」。現役時代と変わらぬひたむきさで、野球に恩返しする。
