15年間のプロ生活に別れを告げた横浜DeNAの小池正晃氏(33)が来季の1軍打撃コーチに就任した。5日から鹿児島県奄美市の名瀬運動公園市民球場で行われる秋季キャンプに帯同し、コーチとして初仕事に臨む。1軍の首脳陣の中では最も若い新人コーチは「教え込むだけでなく、選手との話し合いを大事にしたい」と意気込んでいる。
■有終の美
プロ生活で最後の打席は、涙でボールが見えなかった。ただ、視界に入ってきた白いものを強振した。「たぶん、15年間の中で一番、(バットを)振ったんじゃないかな」。高々と舞い上がった打球は左翼スタンドへと消えていった。
10月8日、本拠地・横浜スタジアムでの最終戦の阪神戦。「自分にはもう力も自信もない」。そう引退を決めた33歳は、鮮烈な2本塁打で自らの花道を飾った。
横浜高時代からのチームメート、後藤の頬にも熱いものが伝っていた。「何をするにしても、いつも(自分を)引っ張ってくれた。自分にとって特別な存在」。友がダイヤモンドを駆け抜ける最後の姿を泣きじゃくりながら見守った。
2005年、06年の牛島監督時代には主に2番打者として働き、2年連続でリーグ最多となる犠打数を記録。「自分の中でも、小池イコールバントだった。自分が打てなくても誰か打ってくれればいいと思っていた」。チームのために自らを犠牲にしてきた。最後に用意されたのは「こんなに目立っていいのかなっていうくらい最高の試合」だった。
■第二の人生
ただ、余韻に浸る時間はあまりなかった。引退試合から2日後には宮崎へ。レギュラーを目指して汗する若手中心で行われている秋季教育リーグ「フェニックス・リーグ」に新任のコーチとして参加し、外野守備などの指導に当たった。
「今度はコーチとしてどうすれば評価されるのか、気持ちを切り替えて考えた」。数日前までは一緒にグラウンドで汗を流したチームメート。1軍を目指して戦ってきた仲間との関係はもう微妙に変わっていた。
「選手からしたら自分はもう選手ではなくコーチ」。離れてしまったその距離感に戸惑うばかりだったが、後藤の言葉に救われたという。
「自分のやりたいように、教えたいことを教えればいい」
33歳、現役を続ける選手もいる年齢。「選手だとか、コーチとかは関係ない。自分は自分。選手と話し合いながら、教え込むのではなくお互いに納得したい」。意思疎通しながら勝利という同じところを目指していけばいい。思い描くコーチ像が見え始めてきている。
■キャンプ
新人コーチとしては異例の1軍打撃への抜擢(ばってき)に、2度目の秋季キャンプを迎える中畑監督も期待を寄せている。「コーチ人員も減ったが、だからこそ一人一人が粘りとか頑張りを見せないといけない」。新顔が多く並ぶコーチ陣にハッパを掛ける。
そんな中、新打撃コーチとして掲げるのは徹底した振り込みだ。「速球に振り負けないスイングができることが全ての大前提」。昨年は1日千スイングが課された。今年は数字のノルマこそ設けないが、「やりきったと納得できるくらいにはやってもらう。まずは量をこなすための体力をつけてもらわなければいけない」と甘さはない。
横浜は8年連続のBクラス。中日時代に日本一を経験したからこそ、横浜の弱さの理由を知っている。「何かしら甘さがある。たとえば練習量。中日では頭で考えるよりも体を動かさなければならなかった」
横浜で生まれ育ち、横浜高時代には甲子園の春夏連覇も経験した。ただベイスターズでの頂点はかなわなかった。
「優勝争いだってできるチーム。そのためには選手一人一人が大人になっていかなければいけない」。果たせなかった夢をもう一度、指導者として目指す。
◇こいけ・まさあき
横浜高3年時の1998年に松坂大輔(米大リーグメッツ)後藤武敏(横浜DeNA)らとともに甲子園で春夏連覇を達成。ドラフト6位で翌99年に横浜(現横浜DeNA)入りした。2005年に20本塁打をマークした勝負強い打撃と小技を得意とし、内外野を守れるユーティリティープレーヤーとして活躍。08年途中に交換トレードで中日に移籍し、11年には日本一を経験した。同年、フリーエージェント権を行使して4季ぶりに復帰。今季で現役を退き、横浜の1軍打撃コーチに就任した。通算成績は810試合、打率2割4分3厘、55本塁打、189打点。1980年5月15日生まれ、横浜市出身。33歳。
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