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わが人生・藤木幸夫(5) 隠された祖父の生涯

わが人生 | 神奈川新聞 | 2021年4月5日(月) 00:00

 各界を彩る神奈川県ゆかりの人物が、自ら半生を振り返る連載「わが人生」。成功に至る道程とそこで培われた人生観とともに、懐かしい生活風景や人生を翻弄した激動の世相も映し出しています。約半世紀にわたり神奈川新聞読者の皆さまに愛され、今なお色あせない「わが人生」企画。バックナンバーの中から厳選し、カナロコで復刻掲載します。第一弾は、藤木グループ会長の藤木幸夫さん。全130回。

 現代の観点では不適切な表現や、現在では状況が異なる事象もありますが、紙面掲載当時の表現、表記をそのまま掲載しています。著者の所属先など関係者・関係組織へのお問い合わせはお控えください。

2004年3月20日掲載

先祖の研究に執念を見せた筆者

 私は先祖を大切に祭るのが日本人の美風の一つと信じてきた。

 ところが、藤木家の先祖のことは分からないことだらけだった。

 先祖についていえば、桜木岩五が私の祖父であり、藤木幸太郎にとっては実の父親である。私の祖母はリエといった。

 桜木岩五がどういう人であったかというと、白土秀次氏の厳しい追及にもかかわらず、おやじの陳述は極めてあい昧で、記録にも残っていないことから判然としなかった。

 白土さんの調査によって辛うじて、開港当時、横浜商人の元締的な存在であった原善三郎の「亀善」に数人いた差配の一人であったらしい、と初めてわかった。

 三代前の祖父のことさえその程度なのだから、おやじは藤木家の家系をそれ以上語れなかった。

 それだけに、私は祖父の沈黙には、何か大きな意味が隠されている―と感じ、気になってならなかった。

 さて。

 ではなぜ、私の祖父が「亀善」の差配になったかというと、当然のことながら、そのへんの経緯もまた見当さえつかないでいた。

 横浜で「亀善」といえばピカ一の生糸売り込み商で、主人の原は豪商の中の豪商として鳴らし、明治政府で大臣が交代するたびにあいさつに訪れたという。その「亀善」の差配になるということは大変なことだったはずなのだが、それが分からない。

 分かっているのは、祖父が兵庫県淡路島の出身で、安政六年、青雲の志を抱いて開港したばかりの横浜に来て、やがて亀善の差配を務めるまでになりながら、明治三十六年春に飛び出して行方が知れなくなったため、おやじが祖母リエの郷里である福井県に、母親、そして妹のうめと一緒に帰ったということだ。

 年表にしてみると、安政六(一八五九)年から桜木岩五の長男・太郎が生まれる明治二十三(一八九〇)年まで、三十一年もの期間がまったくの空白なのである。空白なのは祖父がおやじに語らなかったからで、それもまたおかしな話である。

 おやじはあまり問題にしているようには見受けられなかったが、私は若いときから知りたくてならなかった。

 祖父が失跡した当時、長男の太郎はすでに東京府下谷区稲荷町の紙問屋五十嵐へ奉公に入っていて、長女のナオは長者町の玩具問屋橋本に嫁入りするばかりのときであったから、そのまま横浜に残った。

 父親の蒸発、一家離散という思いもよらぬ事態に直面し、母親と実家に帰ったことで、かくしてわが父・幸太郎の苦難の前半生が始まった。

 それだけに、先祖のことを知りたくもなろうではないか。

 以下は、私の先祖捜しの探索行にまつわる記録である。

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