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神奈川新聞と戦争(28)1941年 行政が強いた「奉公」

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2017年2月22日(水) 09:52

神奈川県新聞社の戦況速報に見入る市民。看板に「横浜貿易新報改題/横浜毎日新聞 横浜新報合同」の文字が読める=1941年12月9日付
神奈川県新聞社の戦況速報に見入る市民。看板に「横浜貿易新報改題/横浜毎日新聞 横浜新報合同」の文字が読める
=1941年12月9日付

 真珠湾攻撃翌日の1941年12月9日に発行された本紙の前身、神奈川県新聞の商況欄に「日米開戦と生糸市場」と題した記事が掲載された。生糸輸出港の新聞として相場を伝え続けたそのまた前身、横浜貿易新報の名残がうかがえる。

 記事は言う。米英と開戦してなお、市場は「静穏裏に模様眺めの態」にある。理由は「市場一般が国力を信じ政府の蚕糸対策に就いて絶対に信頼してゐる」からである。そして「如何(いか)なる事態が惹起(じゃっき)されたとして何等の危惧の念を抱く必要なしとの確乎(かっこ)たる信念」が市場を支配している-。精神論にも似た「商況」。

 ほかのページも、そうした精神訓話で埋められた。囲み記事にある松村光磨知事の談話は「銃後国民は今こそ一切を挙げて君国に捧ぐべきであると考へます」と、県民に「私を捨て公に奉」するよう求めた。文字通りの総動員であり「時局の認識を欠き国家の大事を忘れて自己のためにする不都合な者」は「絶対に許されない」と断じた。

 知事談話は「敵を空襲致します以上我国に対する空襲もまた覚悟を致さねばなりません」と空襲の懸念も示した。しかし、県民に訴えたのは避難の必要性ではなかった。「仮令(たとえ)如何なる空襲を受くるとも(略)県民諸君は慌てず動ぜず各々(おのおの)その職場、職域、職分に恪遵(かくじゅん)[謹んで従う]して確固不動の鉄石心を以てこの時艱(じかん)[難問]を突破するやう切望に堪へぬ次第であります」。たとえ空襲を受けても、持ち場を離れることなく国策に沿って仕事に努めよ-との「命令」だ。

 半井清横浜市長の談話も掲載された。「横浜市民諸君。東亜百年の計は我が国の双肩に懸り、我国の隆替[盛衰]も亦(また)此(この)一戦に懸つてゐる」と士気を鼓舞。

 そして「全市民一丸となり、断じて流言に惑はされず些(いささ)かも不安動揺することなく、我が国歴史初まつて以来の非常時を克服し忠勇なる銃後の戦士として各(おのおの)其(そ)の職域に全力を傾注し聖業翼賛の実を挙げられんことを希望して已(や)まない」と呼びかけた。職務に注力し銃後の「戦士」として戦争遂行に貢献せよ、との要求は知事と同様だった。

 小さな記事だが「宣戦と同時 献金隊殺到」の見出しもある。「八日英米に対する戦闘開始の報を受けるや神奈川署へ陸海軍への国防献金隊が次の如く殺到」と、個人や企業からの寄付金が集まり始めたことを伝えた。同署管内の「看板報国会」が「金属を国家へ」「贅沢(ぜいたく)は断然廃止」といった大看板を作り、市内の目抜き通りの40カ所に掲げたともある。看板業者の「職域奉公」だという。

 本格的な空襲が始まるのはまだ先だが、市民はこのように危険な状況にとどまり、国策に奉仕することを強制された。それを後押ししたのは新聞だった。

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