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神奈川新聞と戦争(4)1927年ファシズムの危うさ

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年8月17日(水) 09:48

 1927(昭和2)年の横浜貿易新報(横貿、本紙の前身)はそれなりに冷静だった。確かに、スイスのジュネーブであった日米英の海軍軍縮会議を巡っては「英国は米国と結んで日英同盟を廃棄するに至り、米国は猛烈なる排日運動を起し…」(6月29日の論説)と米英に敵意を示し、また「軍人は恐れ多くも、天皇の股肱(ここう)の臣である」(7月14日の論説)と軍人勅諭を持ち出し道徳を語るなど、当時の価値観に縛られた記述も多い。とはいえ、外交問題で武力行使をあおるような論調はなかった。

 山東半島に出兵した田中義一内閣に対しては辛辣(しんらつ)だった。介入で満蒙(中国東北部と内モンゴル)の既得権益を維持しようとする田中内閣の対中政策や、その政策を決定づけた同年の東方会議を批判。「頻(しき)りに排日的運動の起つて居るのは、主として我が東方会議に対する対抗運動である消息を何と考ふるや」「(出兵の)結果一層支那[中国]の人心を悪化し、且(か)つ、何のための派兵なるか、出動の兵をして先づ疑義を抱かしめつゝある」(7月9日の論説)と論難、「無力内閣」とまで言い切った。

 注目すべきは、何度も政府のチェックを訴えたことだ。「国民は現内閣の行動に対して最も厳粛に監視せなければならぬ」(6月29日)「此(こ)の際国民は一層の決心を以(もっ)て政府を叱咤(しった)し監視すると共に…」(7月9日)。「国民は最も厳正なる監視を下さなければならぬ」とした同11日の論説の題は「立憲的態度に出づべし」。国民の権利を守る憲法が統治者の権力を縛る、との意味に照らすと文中の用法は必ずしも正確でないものの、最近の憲法解釈を巡る「立憲主義に立ち返れ」との議論とも重なる。

 7月26日の論説は、第1次大戦による戦禍の反省から国際連盟を発足させ、軍縮を目指していた各国が「反動化」しつつある点を的確に指摘した。

 大戦終結は18年。日米英仏伊の5カ国が主力艦の保有数を制限した21~22年のワシントン軍縮会議は「相互愛と平和愛好の共同精神」に基づき、27年のジュネーブ軍縮会議もその延長上にあったはずだった。だが戦後9年を経て「ワシントン会議を成功せしめた非軍国的な、超国家的な思潮は、殆(ほとん)ど跡方もなく霧消」。国際連盟も「動揺」していた。世界的に共産党や社会党が弾圧され、市民の自由は「封建的復古運動」に取って代わられ、国家主義が幅を利かせつつあった。

 「急転せる時代思潮」として、同論説はイタリアとドイツを挙げた。「フアツシステイ[ファシスト]運動下にある伊国」「独逸(ドイツ)の国粋社会党は国粋のみを残して社会党の面目を置き去りにしてしまつた」。国粋社会党とはナチ党を指す。横貿は世界を覆うファシズムの危うさを感じ取ったのだろう。だが、いつしか戦争の時代に没入していく。

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