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神奈川新聞と戦争(3)1927年 二つの会議の「論理」

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年8月10日(水) 09:34

完成直後の多摩御陵(大正天皇陵)を参拝するため横浜港に停泊した第1艦隊。軍縮の議論の傍らで記事は「横浜の港は軍港たるかの壮観を呈した」と伝えた(1927年6月7日付)
完成直後の多摩御陵(大正天皇陵)を参拝するため横浜港に停泊した第1艦隊。軍縮の議論の傍らで記事は「横浜の港は軍港たるかの壮観を呈した」と伝えた(1927年6月7日付)

 「東方会議は本日」「本日愈々(いよいよ)三国会議開かる」。二つの見出しが、本紙前身の横浜貿易新報(横貿)の1927(昭和2)年6月20日付紙面に並んだ。東方会議とは、当時の田中義一内閣が対中政策を巡り、閣僚や高官、中国公使、軍部首脳を集めて開いた会議。三国会議とは、スイスのジュネーブで開かれた日米英の海軍軍縮会議を指す。

 同じページに、後に首相となる岡田啓介海軍相の声明が載っている。ワシントン軍縮会議(22年)で戦艦や空母など主力艦が抑制されたのに続き、ジュネーブでは補助艦の制限が議題となった。岡田は輸入資源に頼る日本経済の実情を挙げ、補助艦の勢力維持を主張した。「平戦時共其の通商航路を確保する為必要とする補助艦勢力の如(ごと)きは、我国家の存立上絶対に之を保有せねばならぬ」。昨年来、安全保障関連法を巡って語られた「国家存立」の語が既にあった。

 軍縮会議に先立つ同17日の横貿の論説「三国会議と太平洋問題」は、米英がそれぞれハワイ、シンガポールという本土から遠く離れた場所を軍事拠点化していると指摘。「如何(いか)に冷静に寛大に考ふるも決して国際的公正の行為とは言ふことは出来ない」と、日本を包囲する強大な軍事力を、直截(ちょくせつ)に批判した。

 一方、東方会議については「東方会議の意見陳述 経済軍事の両方面から」と題した同30日付の記事で、戦後首相となる吉田茂奉天(現・中国瀋陽)総領事らの見立てを報告した。

 その下には「排日貨」の見出しで、日本郵船横浜支店に宛て上海から出された電報を紹介した小さな記事が。「荷物倉出激減せり、海産物の取引不可能」、中国人の通関業者は「日本品の通関を為さず」…。蒋介石率いる国民革命軍が全国統一を目指し、軍閥との内戦(北伐)を繰り広げる中、日露戦争で満蒙(満州=中国東北部と内モンゴル)に権益を得た日本への反感が高まっていた。

 東方会議で政府は中国への積極介入方針を決定。満蒙を中国本土と区別し、日本存立の「生命線」と位置付けた。翌年の張作霖爆殺事件、4年後の満州事変へとつながっていく。

 折しも同年7月7日の記事は、日本人が多く暮らした商都・済南に、政府が軍を派遣したことを伝えた。背景には、北伐する蒋介石や共産勢力を満蒙に近寄らせない狙いがあったが、引用された政府声明は「在留邦人の安全を期する緊急自衛の措置にして邦人保護の外他意なき…」。この「自衛」の論理も、時代を超えて現代に生きている。

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