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神奈川新聞と戦争(2)1927年  軍閥外交への冷静な批判

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年8月3日(水) 12:45

「重大国策を誤る勿れ」と題した論説が載った横貿(1927年6月15日付)
「重大国策を誤る勿れ」と題した論説が載った横貿(1927年6月15日付)

 若槻礼次郎内閣(憲政会)の幣原喜重郎外相による国際協調路線から一転、対外強硬路線を取った田中義一首相の姿勢に、本紙前身の横浜貿易新報(横貿)は批判的だった。

 立憲政友会の田中内閣は1927年4月に発足、翌月下旬にはいち早く中国山東半島に軍を派遣。軍閥対立の激化に伴う居留民保護を名目としたが、結果、現地の反日感情を高めた。

 6月6日付の横貿は「対外国策の重大時機」と題した1面の論説で、新旧政権の外交を冷静に分析した。出兵から数日後のことだ。

 「前内閣の幣原外交は、対支[対中国]政策に於て比較的妥当を得たる点があつた。少くとも自主的外交に力を注いだ事及び排日気分を掃洗して親日的傾向を促進せしめた」と、弱腰と批判もされた幣原外交の果実を冷静に読み取った。

 9日後、同月15日付1面の論説「重大国策を誤る勿(なか)れ」で、横貿は田中外交の問題を具体的に指摘。特に、陸軍出身の田中が首相と外相を兼務したことに焦点を当てて批判した。

 「田中大将が首相にして外相を兼摂する事に就いては、田中内閣成立以来、世の識者の間に一種の危惧観念を漂はしめつゝあつた処である。即(すなわ)ち田中首相は政友会総裁として表面には政党政治を標榜しつつあつても、氏の本来は所謂(いわゆる)軍閥の間に養はれ来つたもので…」。政党政治を装った軍閥政治だというのだ。

 当時既に、陸軍独自の対外政策が、外務省による外交との間に「二重外交」の弊害をもたらしていた。同論説は続ける。

 「是れまで、我が国には軍閥外交と外務省外交とが二大別の形を呈し往々二重外交の奇観を呈し来つたものであるが、最近に於ては、専ら軍閥外交の一手に帰して(略)過去の遺物として消え去つた筈(はず)の軍閥勢力が逐次再び其(そ)の頭角を露はし来りつゝある」

 大正期、本格的に定着した政党政治が、軍閥によって揺らぎつつあった。
 同論説は、中国で軍閥対立が先鋭化したように見えて、実は民族独立の機運に満ちていると分析。対立に乗じ、権益獲得を目当てにした日本の介入をいさめ、次のように結論づけた。

 「日本の対支[対中]政策は、決して過去に行はれたる軍閥的行動を以て臨むべきでない」「日支[日中]の間に容易ならざる暗流を生ぜしむるの恐れがある」「東洋永遠の大策をあやまるなき様細大、心を尽くすを要する」と。現に、中国の「心ある民衆の不満と悪感」を招いている、と。

 懸念は的確だった。「過去の遺物」だったはずの軍閥の再興の帰結は、大陸侵略と戦争だった。

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