引き続き、太平洋戦争の開戦1周年を祝った1942(昭和17)年12月8日の本紙を読む。紙面は各4ページ、2部構成で、県内の戦争関連の話題を集めた第1部に対し、第2部は同盟通信社の配信記事が主体だった。今回はその第2部。
敵国の米英をおとしめる記述が多い。例えば「避け難いインフレに悩む英国」と題した記事は「英軍は大東亜戦争において世界三流の陸軍たる現実を暴露」とし、別の記事は米国の外交について「世界制覇の野望は日を逐(お)って漸(ようや)くその正体を露呈」「他国を第一線に戦はせて(略)英帝国主義に代る米国の世界制覇を企図」などと解釈した。
一方、日本が戦争の大義として掲げた「大東亜共栄圏」を支持するアジア各国からの賛辞も載せた。
例えば、日本占領下のフィリピンでマニラ市長を務めたホルヘ・バルガスの談話は、日本軍の秩序と温情をたたえた。「米国の宣伝によつて我々は日本軍が乱暴な行為に出るものと思ひだまされてゐた」が、実際には「東亜の民族として我々を束縛より解放せんとて来つた」。そして「日本軍の真摯(しんし)にして利己心なき大精神を知つたのである」。
はたまた、英国軍を追放したビルマのバー・モウ行政長官の談話は「単なるありふれた意味の戦争ではない、この戦は二つの世界の間の闘争」「東亜新秩序確立のため」「アジアは一つである」と、大戦の大義を強調した。
日本のかいらい国家「満州国」の張景恵・国務総理の談話は、この日を「世界史転換の日」と定義。「全東亜の民族は一丸となり親邦日本に協力して過去数百年米英の搾取と非道義のなかに虐げられてきたアジアの富と精神の復興に突進すべきである」とした。「豊富なる地下資源、大なる電力の開発、広漠なる沃野(よくや)に恵まれたる農産物の増産」などの語句からは「満州国」の狙いも垣間見えた。
ほかに「この大業の一端を担ひ得たことを誇りとする」としたタイのプレーク・ピブーンソンクラーム首相の声明や、日本に協力した蒙古連合自治政府のデムチュクドンロブ(徳王)主席の祝辞も紹介した。
こうした談話に加え、アジアの「日本化」を朗報として伝える記事も。「明朗な東亜人の隣組」と題したシンガポールの話だ。
42年2月に日本が英国から奪ったシンガポールでは「多数の人種が雑然と住んでゐる現地人住宅地区の取締りには警察当局も苦心してゐたが」、日本が導入した「隣組制度」のおかげで「街が一段と明朗となり(略)従来ものも言はなかつた同志が自然と口をきゝ合ふやうに」なった-。
隣組とは警察を補助する住民組織で、相互監視と連帯責任が人々の生活を縛った。本紙は日本軍による占領や統制を「新楽土の建設」の美名で礼賛した。