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神奈川新聞と戦争(24)1910年 日露戦勝との連続性

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2017年1月18日(水) 09:19

「祝韓国併合」と記された広告がいくつも掲載された1910年8月29日の横浜貿易新報
「祝韓国併合」と記された広告がいくつも掲載された1910年8月29日の横浜貿易新報

 重ねて強調すれば、注目すべきは植民地支配を巡る言説の論理構造であり、それを新聞が広めたことだ。日本には文明の遅れた朝鮮や中国を善導し、西欧列強から保護する使命がある-という論理は、満州事変以降、15年にわたる戦争の時代に誇張されたが、その兆しは1910年の韓国併合の時点で既にあった。1895年の日清戦争、1905年の日露戦争の勝利が背景にあっただろう。

 例えば、韓国併合条約の発効前日、10年8月28日の横浜貿易新報(横貿、本紙の前身)に「韓国併合は、東亜の平和を強固にし、又(ま)た其(そ)の文明を促進する所以(ゆえん)にして、吾々(われわれ)国民は自から東亜文明の指導者を以(もっ)て任ずる上よりして、之(こ)れに対し無上の愉快を覚ゆるは、何人も其の感を同ふする所なれども」とある。

 加えて誇張されたのが、民族的な同質性だった。朝鮮は「同祖同根」、中国は同種同文(同じ民族で同じ文字を用いる)。例えば、同29日の条約発効記念の紙面には、朝鮮半島の産業や宗教、教育などの現況をまとめた記事中に「我と一葦[衣]帯水」としたくだりがある。日本海を挟んで対馬に近接する地理的関係を挙げ「一葦帯水、釜山一連の山河は晴天洋を隔てゝ相指顧するを得る」と、親近感を強調していた。

 こうした報道の数々を通じた韓国併合を、読者はどう受け止めたのか。

 同28、29両日の横貿には「韓国併合祝賀提灯(ちょうちん)行列」が開催される、との告知記事が大きく掲載された。同業者団体や青年団体などは29日午後6時に横浜公園に参集し、同7時の号砲を合図に楽隊の演奏で君が代を合唱、天皇陛下万歳を三唱して日本大通り、長者町、馬車道、野毛町と市内各所を練り歩く-。「吾(わ)が社は更らに楽隊を行列に加入せしめ沿道到(いた)る処(ところ)爆竹色煙火等を打揚げ」ともあり、横貿も社を挙げて参加していたことがうかがえる。

 行列の盛況ぶりは翌30日の紙面で詳述された。「韓国併合の吉報は期せずして全市の青年をして衝天の歓喜を即夜の提灯行列に発揮せしめ」「陸続[続々]参集せる其数無慮[およそ]五千人に達せり」…。

 注目すべきは「三十七八年以来久しく見るを得ざりし満街の盛飾壮観は戦勝の祝典に優さり」との記述。「(明治)三十七八年」とは1904年と05年。日露戦争の戦勝を引き合いに、韓国併合が祝われていた。

 紙面はまた、併合を祝賀する広告で埋まった。29日の紙面には「祝韓国併合」「韓国の併合 皇権の発揚を祝す」と記された企業や個人の広告が60余りも載った。ビール会社の広告には「挙げよ。大盃を。大に飲み 且(か)つ祝すべき秋(とき)は来れり」「帝国民族渇仰幾千載 目的は韓国併合により達せらる」と書いた。横貿は広告収入という面でも、韓国併合の受益者だった。

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