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神奈川新聞と戦争(12)1928年 報道が招く言論弾圧

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年10月12日(水) 10:06

共産党員の一斉摘発を報じた1928年4月11日付の横浜貿易新報。「司法省発表」をそのまま載せた
共産党員の一斉摘発を報じた1928年4月11日付の横浜貿易新報。「司法省発表」をそのまま載せた

 治安維持法の話を続ける。1925年に施行された同法は3年後の28年、早くも改正で厳罰化され、最高刑が死刑に。法律の改正という立法行為ながら、立法府の審議は前提としなかった。「公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其(そ)ノ災厄ヲ避クル為(ため)緊急ノ必要」がある場合、天皇が法律に相当する命令を出せる、と定めた明治憲法8条「緊急勅令」が持ち出されたのだ。

 では、同法改正に「緊急ノ必要」があったのか。憲法学者の奥平康弘は著書「治安維持法小史」で否定する。当時でさえ、政官の間に異論があったという。「政府の緊急勅令構想には、与党の政務官レベルがつよく反発し、法制局でも局長前田米蔵をはじめ参事官らも、こぞって批判的であった」「天皇権力に迎合する説をなす憲法学者・上杉慎吉でさえも(略)きびしい反対論を表明したほどである」(同書)

 それでも政府は改正を強行した。世論の面で後押しした「事件」が、勅令案の閣議決定(6月12日)の3カ月前にあった、共産党関係者の一斉摘発だった。

 摘発は28年3月15日、報道発表は1カ月後の4月10日。翌日の横浜貿易新報(横貿、本紙の前身)の記事は次のようなものだった。

 「寸時も容認すべからざる重大事犯として去る三月十五日払暁五時を期し三府[京都、大阪と当時の東京府]一道三十県に亘(わた)り日本共産党員並びに関係者と目さる千余名を一網打尽に検挙した事件は即時新聞紙上に掲載を禁止し取調中であつたが昨十日午後三時に至り記事の差止めを解除され司法省は左の如く事件の概要を発表した。本県警察部では当日午前一時警視庁からの急電に接し直ちに本県下に於(お)ける労農党支部員を始め危険分子と睨(にら)まれてゐる某組合員の大検挙に着手し一方横浜地方裁判所、同検事局でも判検事の急遽(きゅうきょ)出動を促して夜を徹して目ざましき大活動(以下略)」

 続いて「司法省発表」と注記された事件概要が紙面を埋めた。前掲書で「史上最大の大捕物」が演出された、と読み解いた奥平は、この件に関する新聞報道が「警察発表を鵜呑(うの)みにしながら、これに合わせて興味本位の捕物帖(ちょう)をくりひろげる態のもの」だったと指摘した。横貿の記事でいえば「寸時も容認すべからざる」「危険分子」といった、価値判断を含む表現に見て取れるだろう。

 こうした「発表記事」の数々は「治安維持法の改悪を、しかも緊急勅令という異常な法形式によって強行」(同書)する下地となった。42年には、さらに重罰化された同法に基づき、戦時下最大の言論弾圧である横浜事件が発生。元被告の遺族による国賠訴訟は、この6月30日に東京地裁で請求が棄却された。戦後71年にしてなお、同法の暗い影がある。

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