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神奈川新聞と戦争
(124)1941年 買いだめも「謀略」?

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年1月26日(日) 05:00

立て続けに「スパイの手」と題した広告を掲載した寿屋=1941年11月9日付神奈川県新聞
立て続けに「スパイの手」と題した広告を掲載した寿屋=1941年11月9日付神奈川県新聞

 寿屋(後のサントリー)は「スパイの手」と題した広告を、1941年11月6日、7日、9日と畳み掛けるように神奈川県新聞(本紙の前身)に掲載した。同じ題名ながら、いずれも内容は異なる。少なくとも3種類を作成し、何度か使い回していたようだ。9日の内容は次の通りだった。

 「アレも無くなる、コレも買つておけ、といふ声がどこからともなく拡(ひろ)がる。買溜(かいだめ)が始まる、売惜しみ、闇値が出る。かうして今迄(まで)豊富にあつた物迄が忽(たちま)ち姿を消す。物の需給が全く乱れて愚痴や不満が口を洩(も)れ、何となく、社会に不安が漲(みなぎ)つてくる。そこだ! 敵国の、そしてスパイの狙つてゐるのは… 彼等(かれら)は民心を揺(ゆさ)ぶり国力を弱めやうとかゝつてゐる。流言に乗るな!これも恐るべき謀略の一手だ!」

 当時、買いだめは「非国民」の行為とされた。「ぜいたくは敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」などの標語が街にあふれた。

 日中戦争下の38年に制定された国家総動員法によって経済統制が強まり、41年4月には横浜など6大都市で通帳による米の配給制度が開始された。統制対象の物資は次第に増え、自由に好きなだけ食料を買うことはできなくなっていた。

 斎藤美奈子著「戦下のレシピ-太平洋戦争下の食を知る」には「節米」の実態が詳述されている。国内の米の生産量が伸び悩んでいた上、日本が植民地統治していた朝鮮半島で39年に大干ばつが起こり、米の凶作に見舞われた。1人当たりの米の消費量は現在より多く、1日3合~3合半も食べていた時代である。

 こうした状況下、40年に国民精神総動員運動の一環で節米運動が始まった。婦人雑誌では、節米料理の調理法や、パンや麺類のような代用食がしばしば取り上げられた。同書によると、東京では40年の時点で早くも、食堂で米飯を出すことが禁止されたという。

 配給制の導入は経済統制の一環であるとともに、食料が枯渇しつつあった現実の表れでもあった。配給切符や通帳があっても、店頭や配給所に品物がなく買えないことも。人々は郊外の農村部へリュックサックを背負って出かけ、現金に着物を添え、統制品の農産物をひそかに入手した。

 寿屋の広告は、買いだめを社会不安や経済混乱を狙うスパイの「謀略」と断じたが、実は今日の食卓にも事欠く庶民の危機感に基づいていた。

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