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神奈川新聞と戦争
(121)1941年 生活秩序の「天皇制」

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年1月5日(日) 05:00

「一人」と「全体」を対比させた寿屋の赤玉ポートワインの広告 =1941年10月25日付神奈川県新聞
「一人」と「全体」を対比させた寿屋の赤玉ポートワインの広告 =1941年10月25日付神奈川県新聞

 思想史家の藤田省三(1927~2003年)は、著書「天皇制国家の支配原理」で、戦前の日本を「天皇制社会」と称した。中央では天皇制支配が近代的な官僚機構によって確立しつつあった一方、地方では旧来の共同体が依然として統治に大きな役割を果たしていた状況を説明した。

 同書によると、中央と地方との結合は特に1920年代に強化され、日本社会は「生活秩序そのものが天皇制化」されていった。道徳を体現する天皇という“イデオロギー的な存在”が、政治や経済などの場にまで浸透し「『万邦無比』の観念国家を形成するにいたった」のだという。

 生活のあらゆる場面が天皇制に結合された戦前戦中の統治の結果として、藤田は「『忠孝』の観念だけで生命を捧(ささ)げる『勇気』ある被治者が標準的国民となった」ことを挙げた。

 こうした思想が表れた寿屋(後のサントリー)の広告を引き続き見てみよう。41年10月13日や同25日の神奈川県新聞(本紙の前身)には「不平は心の弛(ゆる)み」と題した広告が掲載された。本文には次のような一節があった。

 「一人の不平が、切角(せっかく)しつくりといつてゐる全体の結びつきに、思はぬ間隙(かんげき)をつくつたり、歩調を乱したりするもとになることは、丁度(ちょうど)一本の歯が抜けたばつかりに全体の歯の根がぐらつくのと同じだ」

 後段は、こうした隙を突いてスパイが「銃後」のかく乱を企て「与論(よろん)を自分の思ふ壺(つぼ)に引摺(ひきず)り込まうとかゝる」と注意を喚起する。この広告の主眼は、情報戦を念頭に、油断を戒め、スパイに付け入る隙を与えないよう呼び掛けるものだ。

 だが同時に「全体の結びつき」という語や「一人」と「全体」を対比させた記述は、天皇制の道徳観が社会に浸潤していた証左ともいえる。藤田のいう「生活秩序そのものが天皇制化」された「観念国家」は、日米の間に戦端が開かれる前、既に完成していた。

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