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神奈川新聞と戦争
(8)1942年 国策保険で懐柔

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年9月14日(水) 09:54

 新聞広告も戦時の時代状況を反映した。今回も、日米開戦1周年を各4ページ、2部の紙面で祝った1942年12月8日の本紙から。

 「これからだ! 一億民の体当り」「さあ! 頑張れ…今だ東亜の癌(がん)を打ちくだけ!」の標語は、胃腸薬わかもとの広告。「靖国の忠霊に感謝し/皇軍の武運長久を祈り/銃後熱鉄戦力の強化を誓ふ」「前線で一番お喜びの重宝な仁丹」とは文字通り、仁丹だ。

 百貨店も戦時色を押し出した。横浜・伊勢佐木町通りにあった松屋は「皇軍慰問用品」を宣伝し、横須賀のさいか屋は開戦1周年記念「大東亜海戦々利品展覧会」の開催を告げた。

 これらの中でも特に目立ったのが、保険会社の広告だった。本紙第1部の1面に掲載された第一生命の広告は「銃後国民は、断じて前線の将兵に後顧の憂ひあらしむべからず」と保険の意義を説明。併せて「貯蓄の高度増強」「勤倹貯蓄、職域励精、一億一心以(もっ)て戦費の根源たる公債消化へ強力奉仕すべし」と、貯蓄の必要性も説いた。

 千代田生命はより率直に「保険報国」と、国策に結び付けて宣伝した。第2部の1面記事下に掲げられた日本生命の広告は「この秋(とき)、皆様の貯蓄を一層計画化して国民貯蓄の増強に努めませう」と呼び掛けた。

 戦時経済に乗じた営業活動というだけではない。実際、保険と貯蓄は国策だった。同じ日の紙面には、賀屋興宣大蔵相の「国民貯蓄増強への総進軍」とした意見広告も載った。「戦費と生産力拡充及(およ)び資源開発」の資金調達のためだ。

 一方で保険の目的は、人心の安定にあった。

 41年12月の開戦直後、戦争保険臨時措置法が成立した。従来の保険が対象外とした、空襲など戦争による損害を政府が補償する「国営保険」だった。大蔵省「戦争保険課長」の速記録に、その意図が見いだせる。「空襲のため損害が発生致しますと(略)国民生活は不安でたまらないと云(い)ふことが起ります」

 その一環で、44年2月には地震保険も設けられた。これは同年12月の東南海地震や翌45年1月の三河地震で実際に機能し、戦時下の人心安定に寄与したという。

 片山杜秀著「国の死に方」は、こうした手厚い補償の真意を突く。「幾何(いくばく)かの保険金を受け取らせ(略)厭戦(えんせん)気分に浸らず、国家に逆らわず」、戦争遂行に協力させる-。その基盤だったのだ。



 
 

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