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神奈川新聞と戦争(7)1942年美談、強制の「機関紙」

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2016年9月7日(水) 10:12

「銃後神奈川・感謝の祈り」と題した1942年12月8日の本紙。開戦1周年を記念し「県民は挙(こぞ)つて曉天総動員を為し、神前に額(ぬか)づき皇軍将士の武運長久を祈願」とある
「銃後神奈川・感謝の祈り」と題した1942年12月8日の本紙。開戦1周年を記念し「県民は挙(こぞ)つて曉天総動員を為し、神前に額(ぬか)づき皇軍将士の武運長久を祈願」とある

 「徒らに屠蘇(とそ)気分に酔ふことなく、常に完璧の防空態勢を整へた上で輝かしい戦捷(せんしょう)の春を寿(ことほ)ぐことを条件に、お正月の晝(ひる)酒、朝興行や飲食店の終夜営業も許し、厳しいうちにも温かしい親心で厳粛な取締を行ふこととなつた」。今回も、真珠湾攻撃の1周年を大々的に祝った1942(昭和17)年12月8日の本紙から引く。見出しは「決戦態勢のお正月/感謝の裡に朗かに」。市民の道徳を教導するような調子だった。

 そのことは題字にも表れた。旭日旗を思わせる文様を背景にした「神奈川新聞」の題字の下には「唯一の郷土紙」「本県官民の機関紙」の文字。戦争協力の姿勢を示すにとどまらず、実際、公的機関の機関紙の役目も担わされていた。

 山室清著「新聞が戦争にのみ込まれる時」は一例として、本紙の「産報欄」を挙げる。国家総動員体制下、県内の企業活動を統括した「産業報国会」の通達を載せる欄が常設されていたのだ。横浜市や川崎市が執筆し、戦時生活の在り方を啓発した「生活欄」もあった。こうした欄は部数増に直結もしたという。

 一般記事は、積極的に戦争遂行に貢献する「銃後」の姿を美談として伝えた。例えば同日紙面の「勤労奉仕二題 海軍当局も感激」と題した記事。横須賀・汐入の洋服商が「国民学校の学童を以つて修養団体『報徳会』を結成」し、海軍墓地の清掃に励んだ。はたまた家具商は、しばしば横須賀鎮守府を訪問し机や椅子を修繕。「銃後奉公はこのときとばかりにこの美はしい行為に出てゐるもの」

 少年少女も美談の立役者として駆り出された。「木炭を運搬する可憐(かれん)なヨイコ達(たち)」という記事は、秦野の国民学校生が「製炭小屋から峻険(しゅんけん)なる山道を二里余も」歩いて運んだ、との内容。「炭焼戦士」の語も見られる。兵器製造のため、率先して金属回収に取り組んだ町田の高等女学校生を紹介した記事は「生徒一同は『一艦を喪はば二艦を建造して戦はん』との必勝の意気に燃えて…」。

 美談は、強制と表裏一体だった。「婦人は常にモンペ」の見出しを掲げた記事は、横須賀の町内会が空襲に備え、主婦のモンペ着用を申し合わせたと報告。その理由は「体裁がどうのかうのと今どき華美な装ひは米英への味方である」。

 この日の紙面で、さらに直截(ちょくせつ)に強制力のありようを示したのが「増産と供出に総動員」という記事だ。三浦郡の農政について「戦時下食糧の確保は農業者の創意と責任に於て従来の自由主義観念の残存空気を一掃、精神指導に主力をそゝいでゐる」「未(いま)だに作付しない者は共同作業によつて麦播(ま)きを行ひ(略)実行組合の強力な発動を期待する」。国策に協力しない農家は非国民-。行間からそう読み取れる。

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