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神奈川新聞と戦争
(184) 1943年 扇動的なリードの責任

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年6月20日(日) 05:00

 出陣学徒への送辞に潜ませた、学問の自由を侵す権力への反感。横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の前田幸太郎校長が1943年11月25日付の本紙に寄せた談話には、治安維持法による思想弾圧が教員に及んだ苦い経験がにじむ。

 この記事を含め4回にわたる連載「出陣学徒へ贈る餞(はなむ)け」をまとめた本紙記者が、前田校長の真意を知っていたかどうかは分からない。一方で4回の談話に添えられた、記者によるとみられるリード文(前文)には、戦意高揚の意図が明確に表れている。書きぶりは次のようなものだった。

 ▽近藤壌太郎知事(11月22日付)「出陣学徒は総(すべ)てを国家に捧(ささ)げん、国家に殉ぜんの必勝の信念に燃えつゝ、感激の坩堝(るつぼ)にひたつてゐる(略)征(い)け!出陣学徒。粛々と、晴れの日を待つ若人に餞けの弁をおくる」

 ▽平岡力陸軍横浜連隊区司令官(同23日付)「陸に海にまた空に、米英撃滅の第一線に馳(は)せ参ずるのは曠古(こうこ)の決戦下、最高の栄誉であり、また男子の本分、これに過ぎるものはない」

 ▽半井清横浜市長(同24日付)「これがかつての日、青白きインテリの卵と軽侮された学生であらうか。戦争は一切のものを一つの目的に結集する。学徒もこの戦争の嵐のなかに一個の学究ではなかつた。彼らもまた大君の赤子であり、防人(さきもり)であつた」

 いずれも、談話にも増して学徒出陣を扇動する役割を担ったことが分かる。注目すべきは、半井市長の回のリードにある「青白きインテリ」だ。理屈っぽい知識人をやゆする語で、35年ごろに流行したという。学生に認められた徴兵猶予の「特権」をねたむ力となり、やがて学徒出陣に至る世論も形成しただろう。

 最終回、前田校長の談話には、次のようなリードが付された。「晴れの門出を送る横浜商業専門前田校長は─諸君はこの校庭に帰らずば靖国のみ社(やしろ)(御社)に還(かえ)れ─と烈々と壮行の言葉を出陣学徒にはなむけるのだ」

 学校でなく靖国神社に。リードは談話の趣旨を、戦死の奨励としてまとめた。だが、談話にそうした表現はない。「戦場に征つて最後の最後迄(まで)頑張つてもらひたい。途中の勝敗や失敗は最後を決するものではない」という一節などは、むしろ直接的な「戦死」の表現を避けたとも読める。実際に言ったかもしれないが、言っていない可能性もある。記者による「拡大解釈」だとしたら責任は重い。

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