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神奈川新聞と戦争
(183) 1943年 問答無用の学問軽視

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年6月13日(日) 05:00

横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の前田幸太郎校長の談話を掲載した1943年11月25日付本紙

 「知らずして進む者より一切の情勢を知つて必勝の大信念を以(も)つて進む方が活躍奮戦出来るのは当然のことである」

 横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の前田幸太郎校長が、1943年11月25日付の本紙連載「出陣学徒へ贈る餞(はなむ)け」に寄せたこの言葉には、戦意高揚とは別の真意があった。政治的な立場に関係なく多様な学説を理解することが、学問を究め、学生の指導にも資するという考えである。

 齊藤毅憲著「Y専の歴史」によると、同校では31年ごろから、当時最先端の経済学、社会学理論だったマルクス主義の研究が学生の間で盛んになっていた。これを受け、教員の側も「資本論」の読書会を行うなど指導に備えたという。「リベラルなアカデミズム」がそこにはあった。

 40年になって同校の教員2人が治安維持法違反容疑で逮捕されたのは、この頃の論文にマルクスを多く引用したことが曲解されたためらしい。特高警察は「学生大衆の左翼化を企画し、専ら合法場面を利用して広範なる学内運動を展開しマルクス主義の宣伝啓蒙(けいもう)に専念」した、と認定した。

 同書によると、2人のうち早瀬利雄は後年、逮捕を「問答無用の世界」だったと回想している。

 特高は論文が違法である根拠を明確に示さず、単に「マルクスがいけないのだということらしかった」。マルクスの理論を学ぶことは「社会科学研究上の一里塚」であり「一度は通らなければならぬ道」だとした早瀬の、学者としての虚心坦懐(たんかい)な態度とは天地の差がある。

 早瀬の公判に証人として出廷した前田は「マルクスを知らずしてマルクスを批判することの意味なきこと」を訴え、「社会学理論の体系の中に諸成果を取り入れることは当然のこと」だと法廷で説いたという。

 「マルクスがいけない」という一言に象徴される思考停止は、社会全体にまん延していた。国家は学問と、学問の自由を軽んじた。その極致が学徒出陣であり、結末は敗戦に他ならなかった。逮捕された2人の教員がY専に復帰できたのは戦後のことである。

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