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神奈川新聞と戦争
(182) 1943年 学問を侵す者への批判

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年6月6日(日) 05:00

 学徒出陣を前に、横浜市立横浜商業専門学校の前田幸太郎校長は、1943年11月25日付の本紙連載「出陣学徒へ贈る餞(はなむ)け」で知識人の矜持(きょうじ)をにじませた。同校は市立横浜商業学校(Y校、後の市立横浜商業高校)を母体とした高等教育機関で、戦後は市大商学部となった。通称「Y専」。

 同大の齊藤毅憲名誉教授は著書「Y専の歴史」で、戦時色が濃くなる前のY専には「リベラルなアカデミズム」の気風があったと指摘する。その中心人物こそが前田だった。

 「Y専を学界においても不動の地位を確立するようになったのは、校長・前田幸太郎の『思想的立場の如何(いかん)を問わず学問的研究を進めよ』という指導方針によるものであった」

 Y専の教員は商業学にとどまらず経済学や社会学など社会科学全般で成果を上げ、とりわけ戦前まで重要な貿易相手国だった米国の研究は、学界で一目置かれるほどの水準にあったという。30年代半ばの5年間ほどのことである。

 だが、情勢は急転した。30年代末には「学界や思想界にはきびしい弾圧のプレッシャーが加わることになった」。象徴的な出来事が、Y専の教員2人が治安維持法違反で逮捕された41年の「事件」だ。特高警察は彼らが社会学を研究していたことなどを挙げ、国体(天皇制国家体制)の変革や私有財産制度の廃絶を企図したと判断した。

 「Y専の歴史」によると、教員の裁判に証人として出廷した前田は、思想弾圧を是認するかのような裁判長を「叱咤(しった)」し、学問の本質を説いたという。いわく、マルクスを知らずしてマルクスを批判することはできない。学者が学問研究を高めずして、どうして学生を指導できようか─。

 これは、先に挙げた「思想的立場の如何を問わず」との言葉に重なる。そして11月25日付の本紙に載った前田の談話にも、相通ずる思想が読み取れる。「知らずして進む者より一切の情勢を知つて必勝の大信念を以つて進む方が活躍奮戦出来るのは当然のことである」という一節だ。

 「必勝」「奮戦」など、戦時に特有の勇ましいフレーズが躍る。だが、まっとうな経済学の研究者が目の前で弾圧された前田の経験を踏まえれば、「知らずして進む者」の一節には、学問の自由を侵す権力への痛烈な批判が込められていることがうかがえる。

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