1. ホーム
  2. 連載・企画
  3. 連載
  4. 神奈川新聞と戦争
  5. (181) 1943年 天皇でなく先輩のため

神奈川新聞と戦争
(181) 1943年 天皇でなく先輩のため

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年5月30日(日) 05:00

 入隊する学生たちへの送辞を連載した1943年11月の記事「出陣学徒へ贈る餞(はなむ)け」。近藤壌太郎知事、平岡力陸軍横浜連隊区司令官、半井清横浜市長に続く最終回(11月25日付)には、横浜市立横浜商業専門学校(後の市大)の前田幸太郎校長が登場した。

 「知識人の真価を発揮せよ」の見出しから察せられるように、ひたすら戦意高揚を唱えたそれまで3回とは様相を異にしていた。学生を送り出す当事者の苦渋が行間に読み取れる。書き出しは次の通りだった。

 「知識階級は弱いものと称され云(い)はれてきたものであるが、支那事変[日中戦争]勃発以来、大東亜戦争の熾烈(しれつ)なる戦局を呈してゐる今日に於(おい)ても、学園出身勇士の勇猛果敢な奮戦振り、その壮烈な尽忠精神はよく実例によつて証明されてゐることである」

 続々出征する同年代の若者と対照的に、徴兵猶予が認められた学生は反感の的だった。以前述べた通り、本紙も「カフヱーやバーに入り込み(略)白昼映画館や喫茶店、撞球(どうきゅう)場、ピンポン場などの娯楽場に遊び呆(ほう)けてゐる」(同年4月20日付)と「時局に目覚めぬ一部学徒」を非難した。

 前田の言葉は、こうした世論を踏まえたものだったに違いない。高踏的な存在と見られた学生も、実は「勇猛果敢」で「尽忠精神」に満ちている。その実例を挙げながら、前田は「弱いといはれた知識人が如何(いか)に勇敢であつたかを如実に証明してゐる」と繰り返した。学生の“名誉回復”の意図もうかがえる。

 さらに注目すべきは、前田が学生を「知識人」「知識階級」と称したことだ。「学生」「諸子」「学徒諸君」などと呼んだ近藤知事ら3人の談話とは一線を画す、インテリの矜持(きょうじ)だろう。そのことは、戦地に赴く心構えについて述べた次の一節にも見て取れる。

 「今、戦野に起(た)ちて戦ふ先輩の合言葉である、攻撃精神と必勝の信念の二つを常に念頭に記憶して先輩の名をはずかしめぬやう祖国の為(ため)に戦つて頂きたい」

 戦意高揚の呼び掛けには違いないが、先輩後輩という学園の文化を戦場にも当てはめようとした前田の言葉は、やはり教育者のものだった。

 「天皇の為」と言わず「皇国の為」でもなく「祖国の為」としたのも、真意は不明ながら、3人が「悠久の大義」を掲げ天皇に身を投じるよう説いたのと大きく異なる。

 締めくくりの段落で、前田は「最後の最後迄(まで)頑張つてもらひたい」と訴えた。表立って「生きて帰れ」と言えない時代にあって、最大限に本音をにじませた言葉ではなかったか

神奈川新聞と戦争に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

連載に関するその他のニュース

アクセスランキング