1. ホーム
  2. 連載・企画
  3. 連載
  4. 神奈川新聞と戦争
  5. (177) 1943年 死ぬことで生きる?

神奈川新聞と戦争
(177) 1943年 死ぬことで生きる?

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年5月2日(日) 05:00

 天皇制国家の「悠久の大義」に殉ずることが国民に求められた戦時体制下、学生に多く読まれたのが哲学者田辺元の講演録「歴史的現実」(1940年刊行)だった。教授を務めた京都帝大で39年5~6月に行った連続講義をまとめた冊子である。それは43年の学徒出陣に際して、戦死に「意味」を求めようとした学生たちを引き付けた。

 講演で田辺は「過去、現在、未来」と「個人、種族、人類」を対比させながら、個人を「未来」や「人類」という壮大な文脈の中にあえて位置付け、死を超越した「悠久の大義」に生きるべきだと鼓舞した。

 まず、田辺が時間軸を巡って解説したのが「永遠の現在」という概念だった。

 「歴史は直線的に滝が落ち水が流れてゐるやうなものと考へる事は出来ない。歴史は過去から押す力と未来から決定する力との、相反対する二つの力が結び合ひ、相互相媒介する円環に成立するのであります」

 歴史は過去から未来への一方的な因果関係ではない。未来は、過去に基づいた「現在」が形作る相互作用の結果である。「現在」の決断こそが、過去と未来を接続する役割を担う─。

 田辺は言う。未来とは「現在の私の働きによつてあるやうになるもの」だと。「永遠の現在」の論理は、こうして導き出された。

 では人々は、その「現在」において、どう行動すべきか。

 「種族の中に自己を否定する事により或(あ)る意味で個人に対する種族をも否定して、人類の立場に自己を復活するのである」

 種族(ここでは日本人)の中で自分を否定する。すると「個人と種族」という関係から「個人と人類」という、より大きなステージに移って復活できる、というのだ。続く一節で、田辺はより直截(ちょくせつ)に述べる。

 「個人は種族を媒介にしてその中に死ぬ事によつて却(かえっ)て生きる。その為(ため)に個人がなし得る所は種族の為に死ぬ事である」

 日本人として日本のために死ぬことで「却て生きる」。一人の死という不可逆的な現実を前に「人類」や「永遠」という壮大な尺度(つまり万世一系の天皇制)を持ち出し、死の厳粛さを視野の外に置いた。

 「死んでも生きている」というレトリック(巧言)は、例外なく国民全体を対象にするものだった。

 「名もなき人であるにせよ、種族の中に死ぬ事によつて、それを人類的な意味をもつた国家に高めるといふ働きをなす」

 たとえ戦局を左右する力のない「名もなき人」でも、日本のために死ぬべきである、との趣旨だ。

 この講演録は、学生の逃げ場をなくした。学徒出陣とそれによる戦死に「意味」を与えてしまった。

神奈川新聞と戦争に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

連載に関するその他のニュース

アクセスランキング