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神奈川新聞と戦争
(175) 1943年 軽い言葉に送られて

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年4月18日(日) 05:00

出陣学徒への近藤壌太郎知事の談話を載せた1943年11月22日付本紙

 大学や専門学校、高校など高等教育機関の学生の徴兵猶予を撤廃する学徒出陣によって、彼らは在学のまま、1943年12月に入隊することが決まっていた。その日が迫ると、紙面には出陣学徒を巡る記事がしばしば掲載された。

 「出陣学徒へ贈る餞(はなむ)け」と題した連載が始まったのは同年11月22日。初回は、近藤壌太郎知事の談話を紹介した。そのイントロに当たるリード文からして、表現が物々しい。

 「『雄々しくぞ醜(しこ)の御楯(みたて)と出(い)で征(ゆ)かむ、かばねは水漬(みづ)き草むすまでも』─栄ある防人(さきもり)として、晴れの入営もあと旬日後にひかへて、志意いよ〱旺(さか)んな出陣学徒は総(すべ)てを国家に捧(ささ)げん、国家に殉ぜんの必勝の信念に燃えつゝ、感激の坩堝(るつぼ)にひたつてゐる」

 「感激の坩堝」の一語に、メディアによる扇動の猛烈さが凝縮されている。

 「醜の御楯」は天皇の盾の意味。「かばねは…」は万葉集を基につくられた国民歌謡「海行かば」の一節に通ずる。海で、山でしかばねとなり大君の足元に死のう、という趣旨の歌は国民精神総動員運動のテーマ曲で、とりわけ学徒兵を送る場面で多用された。

 「学徒よ大和心もて」と小見出しが付された近藤の談話は、学生に対する従来の悪印象から始まる。「学生の気風」に「皇国の将来を案じた」というのだ。

 「気風」の具体的な説明はないが、徴兵猶予の特権まであった高踏的エリートへの世間の反感を踏まえたものだったろう。だが、そうした印象は開戦後に一変したという。学生にも国に奉仕する「気風」が生まれた、というわけである。

 後段では、敵国の学生を引き合いに「敵米英に在つても学徒の出陣は華々しく行はれ、南の海に出撃する飛行機の搭乗員は多く紅顔の学生であると聞く」と、若者を戦争に動員する世界大戦の深刻さを、人ごとのような軽さでつづった。

 その上で、近藤は彼我の学生の「雲泥の相違」を指摘する。それが「三千年の歴史に輝く我が国体」、つまり天皇制国家だった。軽さと精神論とゆがめられた歴史の言葉を背に受けて、学生は送り出された。

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