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神奈川新聞と戦争
(174) 1943年 「先駆」の結末の特攻隊

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年4月4日(日) 04:00

妻子を残し陸軍に志願した男性を取り上げた1943年11月13日付神奈川新聞本紙

 「家に妻子を残し両親の慈愛ある激励を受けて、ひそかに陸鷲(わし)に志願し人に知られず征途に向(むか)ひ、いまひたぶるな闘魂を胸に秘めて、弟の如(ごと)き若い戦友と翼を並べて黙々練武にいそしんでゐる若武者がある」

 1943年11月13日付の記事の書き出し。横浜市中区に住むかばん商の若い男性が、26歳の妻と2歳の娘を残し、陸軍特別操縦見習士官(特操)に志願したという「美談」である。

 「自分のやうに若いものが銃後の職業に携つてゐるのは申訳(もうしわけ)ない。男子一生の本懐は大君の辺にこそ死ぬることである」と、男性は両親にも内緒で決心したという。日中戦争下の39年にも、彼は自らの意思で中国大陸に渡り、宣撫(せんぶ)活動(現地の住民に戦争の正当性を宣伝すること)に従事。「狙撃され胸部その他に名誉の重傷」を受けて帰還した、と記事にはある。

 特操は43年7月に陸軍が募集を始めた制度で、その名の通りパイロット養成が目的だった。同時期に募集された海軍予備学生とともに高校、専門学校以上の高等教育の卒業者が対象。記事によると男性も専門学校卒で「ずつと首席を通したといふ秀才」だった。

 蜷川壽惠著「学徒出陣」は、この制度が「この年九月に繰上げ卒業となる大学・高専校の卒業予定者に標的を定めたもの」であり、同年10月の「学徒出陣の先駆」だったと指摘する。

 その上、「極めて異例の措置」でもあった。士官学校卒でないにもかかわらず、2等兵より6階級も上の「曹長の地位を与えて見習士官に任ずる」からだ。このように航空戦力を速成しなければならないほど、既に日本は劣勢にあった。

 男性の志願に、妻は「頼もしい夫の姿を今更に仰いでこれに賛成」。両親は「頑張つて呉(く)れ。あとは俺たちがやるから、親子の対面は靖国神社でしやう」と答えたという。父の談話も添えられている。「お国のお役にたてば光栄に存じます。若い者はみんな前線で銃を執つて戦つていたゞくのが本当なのです」

 記事には、軍務に励む男性が「最近では単独飛行も許されて北南の決戦場へ翼の殊勲を樹(た)ててゐる先輩に続いて征(い)で出(い)づ日を待つてゐる」とある。前掲書によると、43年10月に入隊した約1800人の特操1期生は44年以降、フィリピンや沖縄の激戦で4割が戦死。うち3分の1は特攻による死だったという。

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