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神奈川新聞と戦争
(179) 1943年 使命を放棄した大学

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年5月16日(日) 05:00

 哲学者で京都帝大教授だった田辺元が講演で「人間は死に於(おい)て生きる」と呼び掛けたように、戦時下の大学、大学人は率先して学生を戦争に送り出した。

 「政治に対する批判とか、真理の探求とか国際情勢の分析とか、そういう本来大学がやるべき使命を完全に放棄してしまった」。白井厚編「大学とアジア太平洋戦争」で、慶大名誉教授の白井は大学の「戦争責任」をそう指摘する。

 戦前から戦中にかけて、大学は帝国大学令と大学令という二つの勅令に基づいていた。前者は官立、後者は私立などを対象としたもので、いずれも研究教育の目的は国家への奉仕だと明確に規定していた。

 「大学ハ国家ニ須要(しゅよう)ナル学術ノ理論及(および)応用ヲ教授シ並其(ならびにそ)ノ蘊奥(うんおう)ヲ攻究スルヲ以(もっ)テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶(とうや)及国家思想ノ涵養(かんよう)ニ留意スヘキモノトス」(須要は必須、蘊奥は極意の意)。大学令の第1条だ。国家機関に位置付けられた帝国大学はもとより、私大も国家主義に取り込まれていた。

 同書で白井は、学徒出陣を控えた1943年11月の慶大の学内新聞を挙げ、当時の小泉信三塾長(学長)が寄せた「征(い)け諸君」「大君の御為(おんた)めに敵弾を冒せ」などの言葉を紹介した。

 その背景には大学令の規定だけでなく、大正から昭和初期にかけ、治安維持法などによる思想弾圧が研究者や学生にも及んだ状況があった。「大学も否(いや)でも応でも戦争に協力せざるを得なかった」(同書)

 一方で、積極的な戦争協力とは異なる言葉を学生たちに掛けた教員もいた。

 早大では、田中穂積総長が「諸君が再びこの大学に戻ってくることを祈っている」と述べ、文学部の煙山専太郎教授は「決して死んではならない。血気にはやったり、変な責任感にとらわれて死を急いではならない」と語ったという。

 慶大では、国際法が専門の板倉卓造教授が捕虜の権利について解説した。▽生命を奪われない権利▽衣食住の供給を受ける権利▽戦後は速やかに故国に送還される権利─を有すると、出陣学徒に説いたのだ。

 軍人の行動規範を定めた「戦陣訓」に「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」とあるように、当時の日本では捕虜は恥とされ、捕虜になる前に「自決」するよう教え込まれていた。そんな価値観とは正反対の「生命尊重の理念」は、学生に響いた。将校となった学徒兵が敗戦を迎え、恐れる部下に「三つの権利」を教えた実例もあるという。

 とはいえ、全般的にみれば大学は戦争に協力こそすれ、それを止めることはできなかった。あえて大学令の条文に従えば、国策の誤りを学問によって正す「国家ニ須要ナル学術」を担ったはずだったのだが。

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