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神奈川新聞と戦争
(178) 1943年 死を超越する“論理”

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年5月9日(日) 05:00

東京帝国大(現在の東大)の安田講堂前を行進する出陣学徒=1943年11月12日(共同)

 「個人がなし得る所は種族の為(ため)に死ぬ事(こと)である」。哲学者の田辺元は1940年に刊行した講演録で、学生に向け死ぬことの意味を説いた。死には日本人の過去と未来を結ぶ歴史的な意義があり、死んでも「生きる」。そんな論理だった。

 この論理の前提となる日本史の壮大さを演出したのは「国体精神」、つまり天皇制の国家体制とその精神性だった。講演録には次のような一節がある。

 「一君万民・君民一体といふ言葉が表はして居(い)る様(よう)に、個人は国家の統一の中で自発的な生命を発揮する様に不可分に組織され生かされて居る」

 君主(天皇)と臣民が一体となり、個人は天皇制国家の中に「不可分」なものとして「統一」される。そんな国家こそが、個人の生命を価値付ける、という。議会や政府という近代国家の機能を飛び越し、国民と君主をじかに結び付けた。超国家主義である。

 田辺は続ける。「日本の国家は単に種族的な統一ではない。そこには個人が自発性を以(もっ)て閉鎖的・種族的な統一を開放的・人類的な立場へ高める原理を御体現あそばされる天皇があらせられ、臣民は天皇を翼賛し奉る事によつてそれを実際に実現してゐる」

 日本は特別な国であるとの趣旨だ。「人類的」な普遍性を持つ天皇が頂点に立ち、それを国民が支える。そうした「君民一体」の国の形こそ、単なる国民国家とは一線を画した「人類的」な普遍性を体現している、というのだ。

 「自発性」という語が頻出することから分かるように、天皇を翼賛し「種族の為に死ぬ事」を、人々は自ら選んでいる(選ぶべきだ)と田辺は強調した。

 講演録で田辺は「自由の生命」という言葉も用いた。国家のために死ぬ意思を持ち「国家即(すなわち)自己」となることが、彼のいう自由の条件だった。国に命を投げ出してこそ、個人は自由を手できる、という論理だ。

 後段でも田辺は「個人は国家を通して人類の文化の建設に参与する事によつて永遠に繋(つな)がる事が出来(でき)る」「人間は死に於(おい)て生きるのであるといふ事を真実として体認し、自らの意志を以て死に於(お)ける生を遂行する事に他ならない」と、同様の主張を繰り返した。

 その要点は「自ら死ぬ」ことで「自由」を手中にでき、「死を超越」できるということだった。当然ながら「死に於て生きる」など現実にはあり得ない。だが、いつ戦争で命を落とすとも知れない若い学徒にとって、この“論理”は魅力的に映ったに違いない。

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