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神奈川新聞と戦争
(169) 1943年  “特権”停止の地ならし

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年1月24日(日) 05:00

映画館やバーに出入りする学生を非難した1943年4月20日付本紙

 雨降る神宮外苑での「出陣学徒壮行会」の半年前、1943年4月20日付本紙からは、当時の世論が大学など高等教育機関に通う学生をどう見ていたのか、その一端がうかがえる。見出しは「学徒の純情を蝕(むしば)むもの 享楽面出入の因は素人下宿に罪あり」。本文は次のようなものだった。

 「決戦下学徒の身でありながらカフヱーやバーに入り込み、はては遊興費捻出の質屋通ひ、また日曜日でないのに白昼映画館や喫茶店、撞球(どうきゅう)場、ピンポン場などの娯楽場に遊び呆(ほう)けてゐる時局に目覚めぬ一部学徒に対して当局はさきにこれら遊惰無自覚な学徒こそ決戦下許すべからずと断乎(だんこ)これを学園から追放することにその方針を明(あきら)かにし」

 この年の10月まで、学生は徴兵年齢に達しても、入隊猶予が認められていた。「学徒の身でありながら」「日曜日でないのに」「遊惰無自覚」といった書きぶりは、そんな“特権”へのねたみとも読める。

 だが実際には、学徒出陣の前に、既に外堀は埋められていた。太平洋戦争に突入する41年以降、大学や専門学校などの卒業が順次繰り上げられ、43年には大学予科(戦後の教養課程に相当)と高校の修業年限が3年から2年に。また41年には文部省の指示で各校に「学校報国隊」が結成され、勤労動員や戦技訓練が求められた。学校は学び舎(や)ではなくなっていった。

 見出しにあるように、記事の主題は、悪質な下宿に起因する学生の「外食問題」にあった。公定料金よりも高い下宿料を取ったり、配給物資の上前をはねたり、学生の郷里に物資をせびったりする下宿が後を絶たず、学生は「食欲を充たすことに汲々(きゅうきゅう)として(略)喫茶店からカフヱー、屋台店の立喰(たちぐい)までにつぎゝと足を運び」といったことになる、というのだ。

 記事によれば県当局が取り締まりに動いたようで、確かに問題だったらしい。だが、この記事の本当の狙いが悪徳下宿でなく、「時局に目覚めぬ」学生の糾弾にあったことは明らかだ。こうした世論形成があればこそ、半年後の学徒出陣も実現し得たのではないか。

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