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神奈川新聞と戦争
(168) 1943年 学徒出陣 駆り立てた

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年1月17日(日) 05:00

雨の明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会=1943年10月21日(共同)

 「学徒の恩典を廃止 臨時徴兵検査実施 十二月一日に入営」。1943年10月2日付本紙が掲げた見出しだ。「陸軍は大東亜戦争必勝体制の強化を期するために所要の幹部を補充する必要上この際学生の徴集延期を全面的に停止」する、と本文にある。いわゆる学徒出陣である。

 それまで旧制の大学や高校、専門学校など高等教育機関に在学する男子は、20歳に達しても入営延期が認められていた。だが戦況悪化に伴い、この猶予は、理系や教員養成など一部の専攻を除き、撤廃されることになった。記事は、その勅令(在学徴集延期臨時特例)の公布を伝えた。

 「国内態勢強化方策に基(もとづ)く決戦段階即応への大転換は現時局下喫緊の絶対的要請として目下内閣及(およ)び各省間に於(おい)てこれが具体化を急いでゐる」と、記事は大仰な言葉で意義を説いた。

 「陸海軍の幹部養成 学窓から戦場へ出陣」。大言壮語でけむに巻いた本文よりも、別の見出しは直截(ちょくせつ)だった。不足していた最前線の指揮官クラスを充足させるため、高学歴の若者を送り出す。軍がそれを急いでいたことは、本文からも分かる。「最大限に関係事務を簡易化しその処分を迅速に決定することにより軍の決戦的動員に万全を期する点に重点が置かれ」…。

 学徒出陣といえば、同月21日に雨の明治神宮外苑競技場で行われた「出陣学徒壮行会」が象徴的な場面としてよく知られる。会場が県内でなかったためか、本紙に壮行会開催の記事は見当たらない。ただし、県内出身の学生は大勢、壮行会に参加している。

 横浜生まれの文芸評論家ゆりはじめの叔父も、その一人だった。陸軍の特攻隊員となった叔父は45年5月、航空機による体当たり攻撃を行い、沖縄周辺で戦死した。著書「何処か南の小島に」で、ゆりはその現実を「健康な肉体と明晰(めいせき)な意識のもとで死へ突入してゆく」と表現している。

 「皇国学徒」などと称揚し若者を戦地へと駆り立てた新聞報道と、ゆりの記憶とを重ね合わせ、学徒出陣の意味を考える。

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