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神奈川新聞と戦争
(164) 1943年 敵は米国の銃後だった

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2020年12月20日(日) 05:00

「みんなのため!」と題し戦争協力を求めた広告のシリーズ=1943年9月20日付本紙

 本紙に掲載された寿屋(後のサントリー)の広告は1943年9月に入ると「みんなのため!」と題し、市民生活における戦争協力を一層強く呼び掛けた。

 16日付の広告では「とかく“バカバカしい”がさきに立つ。このケチな根性から、まづ捨てゝしまはねばならぬ!」と、非協力的な態度を戒めた。まずは思想の統一を図ったわけだ。

 翌17日付は買い物の話。「情実で売り情実で買ふ。そのためにみんながどれだけ迷惑しなければならないかをおもへ!」と、私情に基づく優遇など不公正な取引を批判した。それ自体はフェアだが、現実には食料も物資も軍隊に回され、市場は窮迫していた。「情実」を指弾しただけの広告は、友人知人を頼らざるを得ない状況を無視し、庶民の知恵を否定した。

 20日付は、町内の相互協力・監視の単位である隣組について。回覧板の挿絵とともに「進んで縁の下の力持ちをつとめたら、みんなもきつと自分のためにつくしてくれるのだ!」と訴えた。個人の事情を捨てて公に尽くす。それは美しい共助の姿勢に見えて、実は生活現場を戦争に接続させる構造を意味する。国家、天皇へと至るピラミッドに庶民を組み込む構造だ。

米国を引き合いに銃後の貢献を訴えた「頑張れ」シリーズ=1943年10月13日付本紙

 10月には、敵国である米国の銃後を引き合いに「頑張れ」と鼓舞するシリーズが掲載された。9日は「農家よ!」、11日は「工員よ!」、13日は「母よ!」。本文はいずれも「敵の銃後も真剣だ。必死だ。スポーツとダンスと映画と放埒(ほうらつ)に日を消してゐた曾(かつ)てのヤンキーどもの面影など、みぢんも見られないといふ」と共通のものが使われた。

 「敵の銃後も真剣だ」の文句には、軍需産業や家庭の貯蓄といった銃後の生産力が戦局を左右する、という同社や政府が一貫して宣伝した思想が込められている。全ては戦争のために。総動員の思想である。

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