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神奈川新聞と戦争
(167) 1944年 寿屋の広告が消えた日

神奈川新聞と戦争 | 神奈川新聞 | 2021年1月10日(日) 05:00

敗戦前では最後の掲載とみられる寿屋の広告=1944年3月28日付本紙

 「よしッ! やッつけろ」の文句と、本文の「増産も貯蓄も疎開も節電も 目指すは、ただ敵撃滅の一路!」。1944年3月28日付本紙の寿屋(後のサントリー)の献納広告だ。確認できる限りで、これが敗戦前に本紙に掲載された寿屋の広告の最後である。

 45年5月29日の横浜大空襲で社屋と工場を焼失した本社は「事実上の休止状態」(山室清著「新聞が戦争にのみ込まれる時」)となった。以降の紙面は同年11月まで現存せず、空襲以前にも欠落がある。

 とはいえ、恐らく44年3月28日付を最後とみていいだろう。同年4月以降の紙面、とりわけ記事下広告は大半が軍需工場関連のものとなり、雰囲気がだいぶ変わっているのだ。

 例えば戦闘機の代名詞だった「荒鷲(あらわし)」のイラストが物々しい日本飛行機(44年5月21日付)、爆撃機をあしらった日本精工藤沢工場(同年7月28日付)、飛び立つ戦闘機と見送る戦友を描いた石川島航空工業(同年10月5日付)など各社の献納広告が、増産をスローガンに連日掲載された。

 軍需産業以外には「米供出の完遂に 農村職域敢闘に」とした神奈川県農業会(同年12月8日付)や、戦費調達のための貯蓄を呼び掛ける銀行、工場の求人などの広告が目立った。

 背景の一つには、この年の2月25日に閣議決定された決戦非常措置要綱があったとみられる。総動員体制を強化する狙いで、軍需工場への学徒動員、空襲に備えた地方への疎開や建物疎開(強制撤去)、旅行の制限などが促進された。警視庁は2千店のバーや酒店を閉鎖したという。

 寿屋の広告出稿との関連は定かでないが、要綱にある「国民生活ヲ徹底的ニ簡素化シ第一線将兵ノ困苦欠乏ヲ想(おも)ヒ如何(いか)ナル生活ニモ耐フルノ覚悟ヲ固メシム」との一節から想像できる。これまで、国策に沿って「生活も戦ひだ!」などと読者に訴え続けた寿屋は、自らの存在意義までも否定せざるを得ない状況に追い込まれたのではなかったか。

 旬日を経ず、同30日には北太平洋アリューシャン列島のアッツ島での日本軍全滅が発表された。翌日の本紙の見出しは「傷病兵は全部自決/アツツ島の皇軍玉砕/山崎大佐以下二千数百名」だった。「玉砕」と称して国民に全滅が伝えられた最初の例である。

 相次いでもたらされた戦局悪化を象徴するニュースは衝撃的だった。新聞は連日、大々的に報道した。

 東京・日比谷で行われた山本の国葬を、6月6日付本紙は「東天の巨星・皇土の上に」「決意新たに一億敬弔」と厳かに伝え、県内版でも「痛惜を乗り超えて/街に村に挙(こぞ)る“この決意”」と、戦争遂行の「決意」が国民の総意であると強調した。アッツ島の戦いについても、例えば同5日付の紙面で「銃剣と鉄拳で激闘/壮烈なるアッツ神兵の最期」と神格化した。

 さながら厭戦(えんせん)気分を敵対心に転ずるためのメディアイベントだ。寿屋の広告が訴えた「米英必殺」も、まさにその一環といえた。

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