
「自分に絵本が作れるとは思っていなかった」という。絵が小さい、色付けが下手、話を作るのが苦手。「何でもいいと言われると緊張してしまう。絵本とはとか、子どもに与えるべきものはとか考えてしまう」。だが編集者から「一つのモチーフをいろんな目線で見る絵本を」という「お題」をもらったとき、余計なことを考えずに集中できた。

こうして最初にできた絵本が「りんごかもしれない」。目の前にあるりんごを「もしかしたら…かも」と何通りもの違う物に見立てていく。その発想の豊かさと意外さが話題になり31万部のヒット作に。「人生で1冊だけの絵本になると思い、自分の中の全てを注ぎ込んだ」
自身の絵本体験には、母の存在が大きい。「自宅で家庭文庫を開いていて、たくさん本があった。内容は分からないけれど絵がかわいい本はずっと眺めていられた」。その母を27歳のとき亡くした。数年後には急病で父も見送った。ざっくばらんに「死ぬの怖い?」と尋ねて話し合うことで、少しでも恐怖を和らげてあげたかったができなかった。
今年4月に刊行された「このあと どうしちゃおう」は、そんな心残りから生まれた死をテーマにした絵本だ。東日本大震災で、いつ死ぬか分からないとの思いにも迫られた。
「元気なうちに死について話ができないのはもったいない。どうすれば悲しくならず、重たくならずに死の話ができるかにチャレンジした」
同作では、「自分が死んだらどうなりたいか、どうしたいか」を、亡くなった祖父がつづっていたノートを少年が発見する。友人になってくれる神様など愉快な記述に思わず笑ってしまう。
だが、本当はすごくさみしくて死ぬのが怖かったのかもしれない、と思い至る場面にどきっとさせられる。「このシーンを描くことは最初から決めていた。結局、人がどう思っていたのかは分からない。だからこそ、分かり合うことが必要で、分かり合えたときうれしいと思う」
少年は死ぬことを考えるのは、どのように生きていくかを考えることだと気付く。「そうだな、と一瞬でも共感してくれればいい。そこが一つのゴールです」
お気に入り
あめ色に変わった革の手帳には、はめ込み式の白いページ。「いつも持ち歩いていて、観察したことや思いついたことをイラストにして描き込んでいる」。子どもが寝転がっている様子や不思議な装置などが小さく描かれている。意外にも基本的にネガティブな思考の持ち主で、世の中をなんとか面白がるためのアイデア帳のようなものだという。「仕事につながりもするライフワークです」
ヨシタケ・シンスケ
絵本作家、イラストレーター。1973年茅ケ崎市出身、在住。筑波大大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげない一こまを独特の角度で切り取ったスケッチ集やイラストエッセー、児童書の挿画などを発表。2013年「りんごかもしれない」(ブロンズ新社、第6回MOE絵本屋さん大賞、第61回産経児童出版文化賞美術賞)で絵本デビュー。PHP研究所「りゆうがあります」(15年、第8回MOE絵本屋さん大賞)、「ふまんがあります」(15年)、ブロンズ新社「ぼくのニセモノをつくるには」(14年)、「もう ぬげない」(15年)、「このあと どうしちゃおう」(16年)など。「第8回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。
記者の一言 本がぎっしり並んだ仕事部屋での撮影では、子どものころ飽きずに眺めたという米国の児童文学作家リチャード・スカーリーの本を見せてもらった。船の断面図や家の中の水道管の配管図などが細かく描き込まれている。「情報量の多い本が好きですね」。楽しい小ネタが詰まった画面のある著作を「なるほど」と思い浮かべる。「絵本は大人になって読み返すとまた発見がある。また読んでもらうには記憶に残っていないと」とも。小4と幼稚園の年中の2人の男の子のお父さんでもある。服が脱げなくておなかを出したままの男の子を描いた「もう ぬげない」などのリアル感は「子どもたちに取材してますね」とにっこり。お父さんの絵本で育つなんていいなあ。