織田哲郎さん

「いつまでも変わらぬ愛を」「負けないで」など、今も色あせない数々の名曲を生み出したヒットメーカー。14日には横浜赤レンガ倉庫内のライブレストラン、モーション・ブルー・ヨコハマ(横浜市中区)でライブを開催する。「織田哲郎アコースティックナイト」と題し、チャランゴ(弦楽器)やケーナ(笛)など、南米の楽器奏者とともに数々のヒット曲を歌う。「小学校のときに、サイモン&ガーファンクルに出会ってからずっとフォルクローレが好き。民族音楽色が濃い『ボクの背中には羽根がある』の他にも、『碧いうさぎ』や『恋心』も民族楽器を入れて演奏するといい味わいが出るんです」と楽しそうな表情を見せる。
新型コロナウイルスの影響で、観客の前でのライブは久しぶり。「社会が暗い空気に覆われる時こそ、音楽は重要。生演奏を楽しめる場を大切にしていきたいですね」とかみしめるように語る。

ロックからアニメソングまで、幅広いジャンルで活躍。1990年代は特に、記憶に残る楽曲を数多く発表した。実は「心を開いて」「世界中の誰よりきっと」など大ヒットした曲の多くは「何かがホワンと降りてきただけで、自分が作った気がしない」という。「『おどるポンポコリン』も30秒くらいでできた曲。作曲家としては自分で工夫を凝らした作品に愛着が湧きますが、作り込んでいないものの方が多くの人の心に届き、一緒に口ずさんでもらえる実感があります」
昨年、デビュー40周年を迎えた。「飽きっぽい性格だから、やりたいことを絞らず、好きな事をやってきたから続けられてきたのかな」とこれまでを振り返るが、2000年にスペインで強盗に襲われ、声帯に損傷を負ったことは歌手としての大きな転換点になったという。「歌うことは、音楽の仕事のうちの一つとしてしか考えていなかった。あの時初めて、歌いたいと痛切に思ったんです。そこで初めて本格的に発声練習をして、毎日意識してトレーニングする習慣が付いたから今でも歌えている。歌うことをないがしろにしていた自分に、神様が与えた試練だったんじゃないかと思います」
熟練のシンガーとしての新作発表が待たれるが「アルバムに収録する曲はできているんだけど、どうしてもこだわりたくなってしまって発売が遅れているんです」と苦笑いする。「長い間音楽に携わってきた自分が自信と責任を持って、最高だと言えるものを届けたいですね」
おだ・てつろう
歌手、作曲家、音楽プロデューサー。1958年東京都生まれ。79年からアーティストの音楽制作に携わり、83年ソロデビュー。「シーズン・イン・ザ・サン」「世界が終わるまでは…」など多くのヒット曲を生み出し、これまで4千万枚を超えるCDシングルセールスを記録。日本音楽史上歴代作曲家売り上げランキング第3位。近年はアニメ作品の劇伴制作なども手掛けている。
記者の一言
筆者を含むアラフォー世代にとって、90年代に織田さんが生み出した曲は青春時代のBGMだ。近年は音楽をデジタル配信やライブで楽しむことが主流になり「国民的ヒット曲」は生まれづらくなった。「今は好みが細分化しているし、凝った楽曲が好まれる傾向。全世代が歌えるヒット曲がない時期なんだと思って音楽シーンを眺めています」と話す織田さん。最近のお気に入りはKing Gnu(キングヌー)だという。コロナ禍の今を、私たちはどんな楽曲と共に思い出すことになるのだろうか。