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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(38) お互いにご苦労さん

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月25日(日) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

全競技終了後、相模湖選手村で行われたレセプションで、松原村長(中央、和服の人)は、2人こぎカナディアンのソ連・ヒミチ選手(松原村長の右隣)から金メダルを掛けられ満面の笑み=1964年10月23日、相模湖町(現在の相模原市)与瀬

両村長の電話会談

馬飼野正治・大磯村長 松原五一・相模湖村長

共感!世界は一つ

馬飼野
 ヤァー、松っちゃん。五輪が終わってどうですか、そちらの選手の退村状況は……。

松原
 なんだか潮が引いたような状態で、しゅんとした感じです。一昨日までにぎやかだったのに、いまはしんかんとしていますよ。

大磯選手村に到着した日本選手団を迎える馬飼野村長(前列右端)と高杉治興副村長(後列右)。日本選手団は、小田千馬木監督(後列中央)と、前列左から、田上泰利、棚町三郎、松本富士也、吉田正雄、石井正行、日色輝幸、萩原毅選手、後列左の松田健次郎選手、他に山田貴司、大久保隆史、舟岡正、小島正義選手の12選手=1964年9月、大磯町国府本郷

馬飼野
 私のほうも選手たちの入村は元気で迎えたのですが、いよいよ帰るとなるとさみしさがこみあげてきてしまって…。松原さんがいつもいっている“世界は一つだ”ということをつくづく感じました。みんな友だちなのになぜ国の争いが起きるのか不思議だという気がしますよ。

松原
 私は若い選手よりむしろ監督クラスの人たちと親しくしていましたが、みんな日本のみなさんが尽くしてくれた友情の一つ一つに深く感謝していました。ただことばができないというのが残念でしたね。自由に話せたらひと晩中でも語り明かしたいほどでもどかしい気持ちでした。ああいう人たちが国民外交の先頭に立ったら世界に戦争などきっとありえないと思いますネ。

馬飼野
 ところであなた方はいつまでいるのですか。

松原
 十一月五日までです。これからあとは残務整理と終戦処理というわけです。

馬飼野
 わが方より十日ほど多いわけですね。私の方もいまどんどん退村しており、きょうも(二十四日)六十四人ほど退村しました。きのうはハラルド皇太子(※5.5メートル級のノルウェー代表選手。現在は国王)を送り出してホッとしました。きょうで十三カ国八十五人になりました。

松原
 私の方はいま残っているのはカナダとアメリカ二十一人です。

馬飼野
 私たちのヨット選手は、ハイクラスの人たちで各国のブルジョア階級がそろっているというので、彼らの生活ぶりには大いに関心を持ってきました。確かに競技がすむまでは非常に紳士的で、われわれも頭がさがったのですが、競技が終わったあとはすっかり解放されて、非常に陽気にじゃんじゃん騒いでいましたよ。競技の終わった日は午前三時ごろまで。「選手村は寄泊舎」と考えていたら大きな違いでした。それまで緊張の連続だったからむりもないですが……。

選手に感銘与えた少年少女

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