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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(35) 弁解の言葉 辞書で研究

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月22日(木) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

相模湖漕艇場でカヌー競技が始まった。雨の中、スタンドから観戦する高校生ら。左奥に見える「大島」と書かれたのぼりは、女子2人こぎカヤック・大島裕子選手の応援。所属する大阪学芸大(現在の大阪教育大)の学生2人が夜行列車で駆け付け、「仲間が少ないので」と周囲の観客にも応援を呼び掛けた=1964年10月20日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

思いはもう“終戦処理”

相模湖選手村村長・松原五一

 われわれの祈りもむなしく、けさはしとしとと霧雨に山ハダもぬれ、灰色の雲に閉ざれた空は低く、絶好のレースびよりとはいいにくいが、そんなことにはおかまいなく各選手は元気いっぱい、競技場におりて行った。しかしやはりレース本番とあっては緊張の色がみえ、あの明るいイタリア選手たちまで、やや硬直した真剣な面持ちで出て行ったのには、きびしい勝負の世界の一面にふれたようで一瞬胸をうたれた。

 私は村に居残って知る限りの選手の顔を思いながら、もう敵も味方もなく、だれも彼もがすべて勝ってくれよと念ずるばかり。自分もかつてはスポーツの場に身をさらし、ときには勝利のうま酒に酔い、ときには敗北の苦汁を喫したことがある。それだけに勝者をたたえることより、敗者を心からいたわってあげたい気持ちがより強い。

相模湖漕艇場の艇庫から艇を運び出す4人こぎカヤックの、佐藤忠正、江藤泉、梅沢勇治、隅本富夫選手=1964年10月20日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 きょうはめっぽう、人の出入りの激しい日だった。これもカヌー競技開始の日であり、競技場と目と鼻とあっては無理もないが、応援の人、面会の人、慰問の人などがひきもきらず村内はまるでお祭りさわぎ。朝の国旗掲揚のときからして「〇〇選手がんばれ」の旗のぼりも勇ましくゲートに押しかけた一団があって外国選手の興味を誘っていた。

 朝早く、いや昨夜のうちから出かけてきたのであろうその熱烈な声援も結構ではあるが、それがかえって選手の負担を重くせぬかといささか憂慮せざるを得ない。

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