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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(28) 感謝の後に来る注文

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月15日(木) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

ヨット競技の入場券を手にした人たちは観覧船から観戦。警備にあたる海上保安官の他、医師や看護師も乗り込み、万全の体制で観客を支えた=1964年10月、江の島沖

BSの手紙に感激

ハラルド皇太子も敬意

大磯選手村村長・馬飼野正治

 われわれ大磯村の職員は、二十七日までの食券をあらかじめ配布されているが、これが一枚一枚切り取られ残りがわずかになってきた。うれしいやらさびしいやら、なにか複雑な気持ちである。選手たちは六千カロリーのカフェテリア方式で(※1人1日6千キロカロリー以上の食事提供が選手村に求められた)、食堂を巡視する時はすばらしいごちそうで、うらやましいくらいである。たまには食べられると思っていたが、そういう機会はさらにない。私は太っているからいいが、やせている職員に食べさせて見たい。

 きょうも選手たちは競技である。朝七時十五分の第一便に続いて元気で競技場(※江の島ヨットハーバー)へ向かっていった。全員無事に帰ることを祈る。村長は選手を激励すべく江ノ島へでかけたが海へ出発したあとだった。保坂所長さん(※保坂周助神奈川県オリンピック事務局長)以下県職員がかけずり回っている。少々面やつれがしたように感ぜられる。ほんとうにご苦労であるが、がんばってもらいたい。

 きょうはボーイスカウト茅ケ崎第二団の八人の諸君から、村長や職員に対する激励のたよりをいただいた。どの手紙も心をこめて書かれている。インクのあとが美しい。

 「私たちは朝晩国旗をあげるだけですが(※ボーイスカウトが選手村の国旗掲揚にあたった)、村長さんは奥さんやかわいい子どもさんたちと離れて、もう一カ月も奉仕されています。いろいろな外人の中にあって気苦労もおありでしょう。この間の新聞で体重が減ったという記事を読んだときは、びっくりしてしまいましたが、きのうお元気な姿を見てほんとうに安心しました。“村長さん、ご苦労さんです”といいたいが、恥ずかしくていえません。私たちも日本のために一生懸命旗あげをします。村長さんもなおいっそうがんばってください」。

 年齢のせいか、長い間家から遠ざかっているせいか、こういう手紙を読むと涙が流れて困る。と、同時にまた勇気も百倍する。コケシ(※村長日記24参照)といい、絵はがき(※同21参照)といい、村長へのファンレター?といい純真そのものの子どもの世界の美しさに心を打たれた。

 今晩、ジュリー(国際審判員)八人が選手村にのりこんできた。食堂であいさつしたがみんな品の良い人ばかりであった。「こんなにたくさんの子ども(選手のこと)のめんどうを見るのはたいへんでしょう、お察しします。またいろいろトラブルもあるでしょうが、どうかよろしく頼みます」と金ぶちのめがねの人がいった。私はとっさに「オールゼントルマン・ノー・トラブル」と単語を並べたら「サンキュー、サンキュー」と喜び「トラブルを起こすのはジュリーだけか」と大笑いしていた。彼らはなかなかユーモアがある。

 午後九時、英国のエイシャーさんの要望で五・五クラス(※ヨット競技の種目の一つ)のミーティングがあった。どんな話し合いだったか知らないがハラルド皇太子(※ノルウェー皇太子。5.5メートル級の選手)も参加していた。


平穏すぎる不安

即席ラーメンの夜食の味

相模湖選手村村長・松原五一

 最近の村のあけくれは、平穏ムードの日がつづいて全くありがたいことである。毎朝六時三十分ごろ、判で押したように調理室のモーターがうなりをたてて始動し、私の眠りを破る。もうベッドのぬくもりが一しお恋しい朝の冷気の中で、じっと瞑(めい)想しながら、きょう一日が無事平安であれかしと祈る。

 開村以来、小さな波におどろかされたことはあったが、処理に困ったというトラブルもなく過ごしてこられたのは、各自の業務を忠実に励行してくれている職員や関係者のおかげであることはいうまでもないが、いつどんな紛争がまき起こるか予測できない不安が頭の一部を占めているのがたまらない。

練習に向かう選手。右に艇庫、左に桟橋があり、左奥の建物は相模湖漕艇場の本部庁舎=1964年10月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 各チームの代表がボス(私のこと)に面会を申し込んできたと伝えられるときは思わずドキンとする。そんな時はことさら裕然と構えて応対することにつとめているが、胸中まことに薄氷を踏む思いで何をいい出されるかヒヤヒヤだ。

 だいたい彼らのやり方は、まず最初に「すばらしい環境、施設、食物を与えていただいて感謝している。責任者としての貴下のご労者に対し衷心より敬意を表します。さて……」とくるのが定法であり、このあとの注文がくせ者なのである。

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