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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(24) 同じ人間でこうも違う

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月11日(日) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

雨の中、江の島ヨットハーバーで調整する石井正行選手(右)と大久保隆史選手=1964年10月、藤沢市江の島

日本舞踊にうっとり

大磯選手村村長・馬飼野正治

 冷たい雨の中をほとんどの選手は江ノ島(※ヨット競技会場)へでかけていった。選手のいない村は静寂そのものである。こういう時にこそ精力をたくわえる絶好の機会である。日中はひっきりなしかかる電話以外なにごともなし。

 二十時鳴子のスポーツ少年団自作のコケシを選手たちに贈るため代理として大和のスポーツ少年団十七人が堀江団長に引率されて来村した。各国の代理は持ち帰って家の宝にする。日本のスポーツ少年団の真ごころを一生忘れることはできないと喜んでくれた。

 二十時三十分、日本舞踊神奈川県支部のきれいどころが七扇さんに引率されて選手を慰問してくれた。広く海外にも知られている江戸後期の名作越後ジシ(※越後獅子)、江戸時代八橋検校という盲人によって作曲された六段、サクラサクラ等、第一公式礼装用のきものと高島田のご令嬢のいともしなやかな動き。選手達の食い入るような目はいつもと異なっていた。ワンダフルワンダフルの連発、日本情趣をじゅうぶんに味わってもらった。慰問してくれたみなに心からお礼を申し上げたい。

 二十四時イギリスの青年とニュージーランドの青年が突然訪れ、選手村に泊めてくれるよう申し出た。選手村は選手役員のみが泊まるところでまことにお気の毒であるが泊まる資格がない。しかし国際親善の実をあげるためには筋が違うが許可せさるを得ない。結局県派遣職員の泊まっている日本間へ案内したところ、涙を浮かべて喜んでくれた。きょうは選手村にいる友人をたずねてきた。こんなにおそくなって帰る汽車がない、友人と相談したら床の上に寝ていったらどうかといわれた。日本の方々は私の友人よりもはるかに親切であるといって心から喜びと敬意を表してくれた。


入村式に見る国民性

相模湖選手村村長・松原五一

 「この日のため…」に営々として、準備をつづけてきた何千人の人は、開会式の快晴であることを祈っていた。なんとしてでとも、あの澄みきった秋空のもとで“世紀の祭典”のプロローグをくりひろげさせたいもの。テレビでは「台風二十四号の発生」を伝えている。「台風よ、こころあらば圏外に飛び去れ。そして、菊花香る秋空を恵み与えよ」。

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