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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(23) 舞台裏にも光を

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月10日(土) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

相模湖で一泊した第1コースの聖火は、国道20号の大垂水峠で東京都にリレーされた=1964年10月8日、相模湖町(現在の相模原市緑区)千木良

軽快に水を切る

相模湖選手村村長・松原五一

 雨空がつづいて朝夕の秋冷えが身にしみるようになった。激しい練習をおえたあとのいこいの場であり、わこうどの交歓の場として、ついさきほどまで明るい笑い声にみちていた相模湖クラブ(※選手村内にあったガラス張りの建物)の灯も消えて、村全体が深夜のふちに沈みこみ物音ひとつしない静けさのなかで、ペンをとっている。

 十月八日。早いものでわれわれ職員が駐在を命ぜられて入村してから、ちょうど一カ月経過してしまった。五里霧中の状態のままとびこんだわれわれだったが“よくまあここまでやってきたものである”と思う。入村して一週間は、まったくなにがなんだかわからぬ間に過ぎて、「いったいこれでやっていけるだろうか」と思ったくらいだ。しかし、職員諸君の献身的な協力と関係のみなさんの善意による支援で、大過なく、きょうを迎えられたことは、まったく感謝にたえない。残る一カ月、よりいっそうのご援助をえてがんばりたい、とねがっている。

 午前九時、本庁より峰尾参事(※神奈川県青少年対策担当の峰尾才治氏)が来訪され、激励された。忘れているわけではないが、本務地の「少年少女会館」(※松原村長が館長を務めていた諸外国の子どもたちの交流施設。その後、神奈川県立篠原台青少年の家になった)のことを、すっかりおまかせしてしまいまったく申しわけないしだいである。さて、きょうはひとつ「わが村民諸君(?)の練習ぶりはいいか」かと、その状況視察に湖におりてみた。折りからの雨にもめげず、各選手は元気いっぱい練習にはげんでいた。

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