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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(22) 海山越えた聖火迎える

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月9日(金) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

江の島のヨットハウス前でリレーされる第2コースの聖火。この日朝、箱根を出発し東進、大磯、江の島を経て、葉山、追浜(横須賀市)から横浜市内に入り、神奈川県庁で一泊した=1964年10月7日、藤沢市江の島

感心した学生バンド

大磯選手村村長・馬飼野正治

 九時ハラルド皇太子は、船長のような帽子をかぶって白バイに先導され江ノ島(※ヨット競技会場)へ向かった。各国選手もある会社から贈られた白い袋をさげて、ぞくぞくとでかけていく。きょうは聖火が村の前を通過するので残っている選手は歓迎にでてくれるよう頼んでおいたが全員江ノ島へ出てしまった。やはり聖火よりゲームが大切であるからであろう。

 十時、約七十人の選手村職員が出迎えた前を待望の聖火の白い煙が通過した。この火がギリシャのオリンピアから山を越え海を越え異常の人気の中をここまできたことを思い浮かべている。つかの間に行ってしまった。しかし聖火奉持者を先頭に正走者、随走者の力強い足とひきしまった若い顔を見たときには両眼の熱くなるのをおぼえた。県体育課の佐藤氏の名アナウンスぶりや佐藤秀三郎県体協副会長、船田オリンピック課副参事の車中の顔が輝いて見えた。

江の島で聖火を迎えるハラルド5世ノルウェー皇太子(中央帽子の人)=1964年10月7日、藤沢市江の島

 十二時本村(※東京・代々木の選手村本村)から電話があり、なにごとならんと出てみればまたもやフランスの栄養ドクターからビフテキが週三回以上出ないとか、切っても血が出てこないのはどうしたことかとさんざんにやられてしまった。食べものについてはほとんどの選手から喜ばれているのであるが、カフェテリア方式であるためフランスの人たちの肉だけに血を通わせるのはなかなかむつかしい。しかしあくまで努力しなければならないのでコック長さんと緊密に連絡をしている。

 午後ノルウェーのアタッシェがこられ、環境も部屋も料理もすばらしい。選手村の日本の方々は親切で細かい配慮をしてくれると喜ばれ、とくにハラルド皇太子が喜んでいられることを伝えられた。ほんとうにうれしいことである。

 午後八時二十分慶応の学生バンドが慰問にきてくれた。ベッサメムーチョ、マンボ、ムーンライト等専門家はだしの演奏で選手たちを喜ばせた。フィナーレはサービス曲、みんなでツイストに踊り出た何人かの選手たちもあり、なごやかな親善風景であった。時間はおそくなるし、アンコールアンコールで学生にはまことに気の毒であったが、さすがに慶応ボーイ、終始きぜんとしたりっぱな態度には頭が下がった。


茶わんの文句に教訓

相模湖選手村村長・松原五一

 事務補助職員として協力してくれるOさんから湯のみ茶わんをいただいた。差し出されたその茶わんを見て思わず「うーン」とうなってしまった。というのは、茶わんそのものはなんの変哲もないおすしやさんにあるようなものだが、そこに書いてある文句(ことばといった方がよいかな)が気に入ったものだ。

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