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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(18) ビフテキが夢に出る

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月5日(月) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

江の島ヨットハーバーで練習するヨットを見物する人たち=1964年10月、藤沢市江の島

誕生日が悲しい選手

大磯選手村村長・馬飼野正治

 けさの海はとくに静かである。六時、町の漁師が銀色に光る魚(カマス・アジ)をかかえて帰っていく。のどかな風景だがこつこつと巡視されている姿が村の空気をひきしめている。けさは汗臭い下着類のせんたくをはじめた。女房のありがたさが身にしみる。八時三十分の江の島(※ヨット競技会場)行き第一便バスは満員。やはり競技の日が近づくにつれて選手たちはしんけんになってくる。

 十時フランスのトルテル大尉(青少年スポーツ省付きでアタッシェ)が栄養のドクターをつれてやってきた。例によって食事のことである。フランスの選手に毎日ビフテキを出してくれとか、そのビフテキも切れば中から血が湧きでるような焼き方にせよ、─という注文である。コックの皆さんはフランスの特別調理では特に苦心をしているようであり、ろくにすい眠もとれず涙ぐましい努力をされているのであるが、趣味は十人十色であるため、なかなかむずかしいようである。

 しかしもくもくとして努力されている姿はまことに美しいものだ。「申しわけありません。努力します」と苦しさをじっとのみこんでしまうと何か心の中に豊かなものがかよってくるような気がする。ちかごろ私はビフテキの夢を見るようになった。

 十二時ごろトリニダード・トバコ、アイルランド、スイスなどが入村し三十三カ国二百六十人の大世帯となった。午後四時ホテル側の好意による地引き網の実演があり、大だるへ二はい半のソーダガツオがとれた。選手の見学はわずかであったが私達にとってはすばらしいレクリエーションであった。

 午後八時ソ連のエリオミンさん(三六)に高杉副村長からバースデーケーキがおくられた「おめでとう」といったら流調な日本語で「私は悲しい」ときた。ハッとした。

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