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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(16) 3分間の親孝行

連載 | 神奈川新聞 | 2020年10月3日(土) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

大磯選手村に到着したハラルド5世ノルウェー皇太子(現在は国王・右)を迎え、握手を交わす馬飼野村長(左)と高杉副村長=1964年10月1日、大磯町国府本郷

さすがプリンス

大磯選手村村長・馬飼野正治

 きょうは朝から落ちつかない。ノルウェーの皇太子ハラルド殿下が入村されるからだ。十六時四十分羽田着だというのに、朝から心身の準備にとりかかった。

 まずいつもより早く起床、冷水で身を清め、ひげもたんねんにあたり、ワイシャツは皇太子歓迎用にとっておいた高級のもの、くつはみがきにみがきをかけた。しかし背の低いのはどうにもならない。せめて横に大きいのでがまんしてもらう。

 大磯警察の署長さんが警備の打ち合わせにきてくれた。ほんとうに力強く思った。羽田から村までは警察の責任で警備するが、村へはいると村長の責任である。まず的確な情報をつかむことが第一であるが、飛行機が着いてみないと判明しないということだ。各新聞社からも照会の電話がひっきりなしであるが、明確に答えられない。

 やがて十四時ごろになると情報がはっきりしてきた。十六時四十分羽田着は確実であり、大磯選手村に直行されることも確実になった。飛行機が遅れ、十七時四十五分大磯へ向かって直行されたという情報を得た。まず先導が白バイ、次が皇太子殿下、そのあとが大使の車、後尾がパトカーという編成である。何時何分どこを通過されたという電話が次々とはいる。職員に出迎えの指示をした。

 
 

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