【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(11) 公平な処遇に気苦労
連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月28日(月) 09:00
1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。
現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

仏選手から見舞い
相模湖選手村村長・松原五一
運営事務室で朝の新聞に目を通していると通訳の安田さんが「フランスの選手がお会いしたいとのことです」と呼びにきた。
「さてはいよいよ何かの要求をいいにきたのかな。いったいどんなことだろうか」と、内心ビクビクしながら上着をつけて出てみると、ドランサール監督とブードエン、シャピュイ両選手がトレーニング姿ながらきちんと威儀を正して私を待っていた。
村長日記(11) 公平な処遇に気苦労
練習に励むフランスの選手。左奥が相模湖漕艇場の本部庁舎、右奥が艇庫=1964年9月22日、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬 [写真番号:351592]
朝8時20分、大磯選手村を出発する選手輸送のリハーサル。輸送担当の陸上自衛隊員が乗ったバス5台の前後をパトカーと白バイが固め、開会式会場の東京・国立競技場へ国道1号を北上。主要交差点では地元の警察が信号を操作し、ほぼノンストップで走った=1964年9月26日、大磯町国府本郷 [写真番号:351602]
相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長 [写真番号:350095]
神奈川新聞 1964年9月28日付6面 [写真番号:351600]