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【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(7) 純真な心 裏切るなかれ

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月23日(水) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

 9月24日付は当時の休刊日のため、次回は9月25日付です。

活気あふれる相模湖選手村の厨房(ちゅうぼう)=1964年9月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

隊列堂々の入村

相模湖選手村村長・松原五一

 村内宿泊の第一夜が明けた。やはり実際に泊まってみるといろいろのことがわかってくるものだ。その第一は食堂、厨房のモーターの音がとてもやかましい。夜は十時三十分までうなり声をあげ、朝はもう七時前からひびきをたてはじめるので、とても安眠などできたものではない。

 しかしいまさら位置を変更するわけにもいかないので、少なくとも厨房に面した部屋にはできるだけ選手を入れないようにせねばなるまい。その他洗面所の水や湯のぐあい、電灯の調整、ベッドの位置ETC……今まで気づかなかった箇所が現実にはっきり指摘できることは、やはりそれだけ選手諸君の苦情や注文となって出てくる公算があると思わねばならないので、事前に掌握できたことはよかったと思う。

 朝起きて、広い第一号館の中でただ一人洗面したり、顔をそっていて、ふと何年か前のアメリカでの生活を思い出した。ひとりきりの味気ない毎日を寄宿先の下宿の窓からワシントンの町をうずめた美しい森をながめて、せめてぶりょうを慰めていたものだったが、真新しい映像となってよみがえってきた。秋だというのに灰色の雲が低くたれ下がって、天高く清らかな季節とはちょっとほど遠い感じだ。それでも日中の残暑を除けばひんやりした冷気に、もう秋だという実感をハダで知らされる。

 朝食を終えたフランス選手に部屋は? 食事は? 何かおのぞみの点は? と聞いたが「すべてが快適で何もありません。とてもすばらしい」との返事。外交辞令であってもそう聞かされると、とてもうれしい。

 午後、当村第一回の入村式を行なう。いつもながらあざやかな県警音楽隊が、渡辺隊長指揮の下に隊列堂々と入村してきた。

 スマートな制服に身をかためたフランスの三選手を迎えて開く。「ラ・マルセーユ」で有名なフランス国歌の演奏につれ、三色旗が静かにポールを伝わって掲げられる。フランス王朝の圧政をしりぞけ、自由と平等をかち得たあの大革命のさ中、民衆の心のささえとなったといわれる革命歌が、今や国歌として力強く耳にひびいてくる。はるか異国の空で仰ぐ国旗、胸底をゆるがせるような国歌の旋律を身に感じて三選手の胸中はどんなであろうかと思う。一九五六年、天皇誕生日をワシントンの日本大使館で迎え、そこに掲げられた日の丸を見てジーンと胸熱きものを覚えたあの日のことを切なく思い出した。第一回の入村式も無事終えた。これからは何回となく入村歓迎の式を行なうわけだが、やはり最初が最も印象的であった。


バーの暴利に驚き

大磯選手村村長・馬飼野正治

 インドネシアが夜七時三十分入村するという情報で受け入れ体制を整えていたが結局誤報であった。昼間の入村がなかったので久し振りでのんびりした一日であった。のんびりすると潮風や砂に押しよせる波の音、形のよいマツ等等、大磯の風趣が心身をいやしてくれるので大磯にいるという実感がわいてくる。

大磯選手村からの風景。大磯ロングビーチのプール越しに相模湾が見える=1964年7月、大磯町国府本郷

 昨晩オーストラリアの選手数人が横浜まで遊びにいったが帰った時の態度が少々おかしいので尋ねてみるとバーで飲酒したら大金を要求された。マネーが足りないので、まけてもらったが日本というところは高いところだ。あまり金額が大きいので警察へ連絡するといったら半値にしてくれたといっていた。われわれは彼らが何をしてきたかプライバシーの問題になるので把(ハ)握に困難であるし、一方的に話をきくのでこれによって判断することは適当でないが、もしも外人めあての金もうけ主義があるとすればお互いに自重してほしいものである。スポーツマンはフェアである。自分がフェアであるから人もフェアだと思う。また選手村では非常に親切だから日本人みんなが親切だと思っている。この純真な心を裏切ってはならないと思う。それには日本人のみんなが国際親善使節になったような自覚をほしいものである。

 われわれは選手村でいろいろの問題にぶつかる。自分のほうが正しいと思っても、風俗、習慣、国民性が異なるので正しくないという答えがでることが多い。極力低姿勢で自分を殺すことにつとめている職員がかわいそうでならないが、自分を殺し、歯をくいしばってじっとがまんすることが豊かな人間性をつくることになるのだといいきかせて協力してもらっている。

 昨晩十時十分カナダの選手が五人入村した。とても品のよい方方ばかりである。これで九カ国四十七人が入村ずみということになる。徹夜で巡視しているみなさんに感謝しながら睡眠につく。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月23日付10面

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