他にはない神奈川のニュースを!神奈川新聞 カナロコ

  1. ホーム
  2. 連載・企画
  3. 連載
  4. 村長日記(4) 食事に花壇、気配り細やか

【1964東京五輪】〜アーカイブズで振り返る神奈川〜
村長日記(4) 食事に花壇、気配り細やか

連載 | 神奈川新聞 | 2020年9月20日(日) 09:00

 1964年の東京五輪。神奈川には相模湖のカヌー選手村と大磯のヨット選手村が設けられた。神奈川新聞では両村長が日々の出来事をつづった「村長日記」が連載された。五輪イヤーの今年、当時の日付に合わせてこの連載を再び掲載します。海外旅行が一般的でなかった時代、世界各国の五輪選手を迎える緊張や戸惑い、喜びなど臨場感あふれる描写から、1964年と違うもの、変わらないものが見えてきます。

 現代の観点では不適切な表現もありますが、1964年当時の表現、表記をそのまま掲載しています。(※)で適宜編注を入れました。

大磯選手村、開村式のビュッフェ=1964年9月15日、大磯町国府本郷

きびしい食事注文

大磯選手村村長・馬飼野正治

 あわただしい一夜が明けた。心は曇っているが天気は上々、十時三十分フランスのアタッシェ三人-クレスパン大佐、ドクター・クレフ、ドクルートアタシェ-がヘリコプターで勇ましく到着した。おきまりのあいさつをとりかわした後、新館ロビーに案内。彼らはフランス選手のために選手村にいろいろな注文をつけにきたのである。その二、三を拾ってみると、フランス料理はオール・ノー・ソースである、絶対にソースを使用しては困る、とか肉はフランスから持ってくるから日本の肉を使わないでほしいとか、フランス選手だけ特別料理にしてくれとか栄養のドクターからえらい注文をつけられた。われわれは真心をもって奉仕することを誓っているのであるからできるだけのことはするつもりでいるが、いささか困っている。

 三度三度のめしで腹が少々おかしくなり食欲も衰えかけたがきょうの昼食はうどん。生気をとりもどした。みんなの顔もニコニコである。昼食後中毒事件に関して大磯高校、大磯中学校の校長先生に面会、謝罪する。村の門から一歩外へ出ると、しゃばに出たような気になり晴れ晴れとする。それにしても四十三日間も家に帰れないことはつらいことである。こういうぐちがでるようではまだまだ修養が足りない?

 夜九時三十分長身のニュージーランド選手二人-ウエルズアーレー、ペダーソンヘルマー(二人ともフライング・ダッチマン(※ヨットの艇種。FD級))-入村、これを迎えた。昨夜おそくオーストラリアの選手が町の観光にでかけたが帰りにタクシーの中にカメラを忘れ大あわて。しかしタクシーの正直運転手に届けられ大喜び…このような朗報が続いてくれることを願う。

 あすはイギリス、デンマークなど入村予定である。


いそいで花壇造成

相模湖選手村副村長・田中清

 村長をはじめ、私たち県職員三〇人が主催者から委任を受けて準備のため選手村入りしたのは九月八日でした。

 男子宿舎は、旧相模湖ホテルを改造した運営事務所、食堂と三むねの宿舎とクラブハウスの計五むねがただがらんとして、薄曇り空の相模湖畔にその大きな姿を現わしているだけであった。

 指折り数えれば、あと七日に開村式が迫っている。果たしてだれの力でこの間に二十五カ国の選手団を気持ちよく受け入れる準備ができるだろうか。なにか不安と半面みなでやろうとの気持ちは私一人でなく、全員の気持ちでもあったでしょう。

相模湖選手村の宿舎に次々と備品が運ばれる=1964年9月、相模湖町(現在の相模原市緑区)与瀬

 思えば一週間、男女職員作業衣に着替え、力を合わせて大はベッド、マット、机、小はペン、鉛筆にいたるまで宿舎に事務室に運び込んだ。なにしろ新世帯、あとからあとから細かい不足の物が出てくる。みんなの努力によってどうやら住まいらしく整った。

 一方目を外に向けると、遠来の選手を迎えるいこいの場である選手村の外庭には、目を休ませる樹木もなければ、心を安らげる花一つもない。これが外客を迎える選手村かと反感すらいだいたが、いまこのような気持ちは許されない。よりよい環境作りに努力をはらった。

 さいわい県フラワーセンターの好意によりりっぱな花壇が造成され、サルビアを中心に美しく咲き誇り、三むねの宿舎の間にはモクセイ、ツバキが植えられた。用水池には県の養魚場からヒゴイが運び込まれ楽しそうに泳いでいる。職員も時にはズボンをひざまでまくり下水そうじに除草に精出した。にわかづくりであったがいまはそのような感じは全然見当たらない。

 一方町の防疫班は室内に、外庭にさらに村周辺と重点的に殺虫剤の散布を。保健所は所長さん以下職員の方々も環境、食品衛生に最大の注意を払い、食堂従業員にあるいは食品納入者、食品販売者に細かい指示を与えてくださった。

 どことはなしに飛んできた一羽のハトが全従業員の心の暖かさに打たれたのか、毎日楽しそうに庭に、ある時はクラブハウス内に遊んでいる姿は、なにか選手の入村を待ち受けているようだ。


相模湖選手村の松原村長(左)、大磯選手村の馬飼野村長

神奈川新聞 1964年9月20日付8面
 
 

東京五輪に関するその他のニュース

連載に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

アクセスランキング