明治中期ごろの姿を復元した、「象の鼻」と呼ばれる弓なりの防波堤。かつては直線に近い形の波止場だった。荷揚げ場でもあり、出入りの船でにぎわった。「横浜税関の出張所が近く、通関業務が便利だった」。客船やタンカーなどに資材、食糧などを納入する「シップチャンドラー」の事業主だった片岡英明さん(67)=横浜市西区=は振り返る。
現役当時、海外で人気のあった日本の物資は即席ラーメンやジーンズなど。沖合に停泊する船に乗り込むと、船室にクマが居合わせたこともあったという。
15年ほど前、事業から手を引いた。今は、近隣住民として横浜港を見つめている。「時代や景色が変わっても、異国情緒があり、人々を魅了する雰囲気は当時のまま」と目を細める。